「転売?」
私は籠の中のオボンのみを手に取ろうとして、固まった。
転売。不穏な単語。嫌な響きだ。
デザートとして食べようなんて思っていたのに、その気がなくなってしまった。ルンルン気分が、風船みたいに萎んでいく。
「転売って、言いました?」
「ええ、言いましたよ」
私の真向かいに座るウォロが、神妙な面持ちでうなずいた。
「後程、リーダーから改めて話があると思いますが、実は“ゲンキノツボミ”が転売されているらしいんです。通常より高値で」
人当たりのいい笑みを浮かべる綺麗な顔は、今日は少し曇っているようだった。
「買いつけに港へ立ち寄った仲間から聞いた話です。うちの商会にも他の商会にも所属していない人間が、露店を広げて様々な品物を売っていたとか。しかも今、手に入りにくいものばかりだったそうですよ。最近、一部のお客様が大量の商品を買い占めていくことがありましたが、転売目的なのかもしれませんね」
「はああっ!?」
思わず大声を上げると、部屋にいた商会のメンバーは一瞬こちらを見た。そして、「ああ、お前か」みたいな感じで、すぐに興味を失くしたように各々の作業の続きに戻った。
「私が突然叫ぶのは日常茶飯事、みたいな反応された」
クスクスとウォロが笑う。
「後輩さんはいつでも元気ですね」
「いや元気とかそういう問題じゃなくないですかね!?」
5日ぶりに会ったウォロと、何故か今、一緒にお昼ご飯を食べている。最近、ウォロから誘ってくれることが多いんだよね。
まあ、仕事場も休日の外出も別々だけどな!
「話を戻しますね。後輩さんは、一部の商品の高騰が続いていること、ご存じですよね?」
「あー。この間の朝礼の話っすね。“ゲンキノツボミ”の実りが悪いとかで、それらを原料にしている商品も高騰しているって。でも、何で高くなるんです?」
“ゲンキノツボミ”の実りが悪いと何で値段、高くなるんだ?
「おや? 後輩さんは、どうして値段の仕組みを理解していますよね。研修でギンナンさんがアナタに教えていましたよ」
「……」
私は悪戯がバレてしまった子どものように目を逸らす。
脳内に勉強内容が存在しない。バグか?
「その反応で大体察しました。今一度、復習しておきましょうか」
「勉強苦手過ぎて聞きたくないでーす」
「復習しておきましょうか」
「何で繰り返すんですか」
大事なことだから2回言いましたってか?
「後輩さん」
「分っかりましたよー! 聞きますよー! 勉強しますよー!」
商売やるなら避けて通れないもんな!
今世の私の夢は独立して商売をやることだ。
仕方ない、もう1回勉強しよう。
「難しいことではないですよ。後輩さんもすぐに理解するはずです」
ウォロはコホン、と咳払いした。
「まず、初歩的なことから。物の値段というのは、誰が決めているのかご存じですか」
「え? うーんと……?」
1分くらい考え、私は両手を挙げた。降参。降参でーす。
「ギンナンさんがあんなに懇切丁寧に教えていたのに、忘れてしまったんですか」
「あの時、半分、寝てました」
これではギンナンさんが浮かばれませんね、と溜め息をつくウォロ。
わ、悪かったな。前世も授業中はよく居眠りしてた生徒でしたよ。不真面目でしたよ。
「値段というのは、物を作る側、物を売る側が決めるんです」
例えば、とウォロは目の前の籠に手を伸ばして、オボンのみを手に取った。
「このオボンを収穫するまでにどのくらいの時間や費用、手間がかかったのかによって、値段は高くなったり安くなったりします。もちろん、儲けが出るように、値段というのは決められます」
「収穫するまでに100円かかったら、バカ正直に100円で売るわけがないってことですね」
利益がなきゃいけないよな。それは分かるぞ。
「そして、更に値段を左右する要素があります。買い手と売り手の量で決まるのです」
ウォロはピンと人差し指を立てた。
「例えばですよ。ジブンはオボンを売る商人です。今日は収穫量が少なく、3つしか用意できませんでした」
ポンポン、と籠からオボンをもう2つ取り出し、先に持っていたオボン1つを加え、私の前に並べる。
「お客さんが5人やって来て、全員がオボンを買いたいと思っています。この時点で、オボンよりお客さんの人数――量が多いですね」
「そうっすね」
「5人のお客さんの中に後輩さんがいたとします。後輩さんの住む村はオボンのみが手に入りにくい環境。あなたのポケモンの好物はオボンなので、なんとしてもこれが欲しい。さてさて、どういう行動を取りますか?」
「うーん」
そうだなー。
「他の4人より高く買うから全部売ってくれ、とか?」
「他の3人も同じ主張をすると?」
――あ。
「値段、どんどん高くなりますね?」
「そうですね!」
ヴォロがニコリと笑った。
「今度は逆に、オボンが豊作で、オボンが欲しいお客さんが少ないとします」
オボンをもう2つ籠から出し、計5つを私の前に並べる。
「お客さんは後輩さんを入れて2人だけ。後輩さんはオボンをたくさん持っているので、特に欲しいとは思いません。でも、ジブンは今日中にオボンを売ってしまいたい。だから、こう言うんです。『安くするので買いませんか』と」
「なーるほど! 値段が安ければ買おうかな、という気にはなるかも」
「値段が下がれば、それを聞きつけたお客さんが増えるかもしれません。上がったり下がったりを繰り返しつつ、やがてジブンと後輩さんの納得のいく値段になり、交渉は成立するでしょう」
うんうん、何かウォロが言いたいこと分かる気がする。
「お客さん――買う人の買いたい量を『需要』。売る人の売りたい量を『供給』と言います」
「ああ、これが! 需要と供給!」
そういやギンナンさんがこの単語をしきりに言っていたような!?
「あ、ちょっと思い出しました。なるほどー。売り手は高く売りたいんですよね。でも、買い手は安く買いたい」
前世の――社会科の授業だったかな? グラフを思い出した。右下がりの供給曲線と、右上がりの需要曲線のグラフ。そこが一致した部分が、物の値段になるのか。
「売り手と買い手の主張が一致した時、その値段が市場で取引されるんですね」
「なるほどな~!」
理解理解。めっちゃ理解。
「ふふふっ! 完全に理解しました! つまり、商品の数が少ないと高くなるってことですよね!? なあんだ! 簡単じゃん!」
ウォロはゆーっくり瞬きをした後、
「……それでいいです」
何故か遠くを見るような目をしていた。
「ちなみに値段というのは、天候、流行、時間などにも左右されます。夏が旬の野菜は夏に大量に収穫できます。供給が多いので、その分値段が安くなるんですね」
ふむふむ。じゃあ、冬には滅多に食べられない夏野菜が売られてたら、それは逆に高くなるってことだ。供給が少ないからね。
そっか、それを“ゲンキノツボミ”に置き換えればいいのか!
「“ゲンキノツボミ”が不作だから、今は供給が少ない。値段が高くなっている、と」
その通り、とウォロが何度もうなずいた。
「それに、ここ数日、シンジュ集落では体調を崩す人間が多いみたいですよ。だからますます需要が高まるわけでして」
「……あー。言われてみれば……」
私は、ここ数日の集落の様子を思い出す。
咳をする人たちが多かったし、滋養があるものを買う人がいたかも。
お客さんの中には、医者もいたな。薬の材料として“ゲンキノツボミ”をたくさん買っていったんだよ。
「今日の朝礼でも『シンジュ集落では高い熱を出す風邪が流行っているから、商会でも気を付けるように』ってお達しがありましたもんね」
なるほど、元々供給が少なかった“ゲンキノツボミ”の需要が大きくなって手に入りづらいというのは理解した。
それで?
「それで、転売ヤーはどこのどいつなんですか!」
「てんば、……何ですか?」
「て・ん・ば・い・やー、です! 転売する奴らのことをそう呼ぶんです、古から」
というか前世から。
転売屋とバイヤーをかけているんだよ、知らんけど。多分。メイビー。
「てん、ばいやー……。後輩さんはたまによく分からない単語を使いますよね」
「造語です。転売ヤー……、これは憎むべき名です。絶許です」
私は拳を握りしめ、力説する。
「楽な商売しようとするのが許せないじゃないですか! 人の苦労も知らんでー!」
前世でも転売ヤーは迷惑な存在だったと記憶している。
数量限定品を買い占めて高値で転売したり、盗品を転売したり、買い手にも売り手にも迷惑をかける存在。
例を挙げたらキリがない。コンサートのチケットとか、アニメグッズとか、有名人のサインが入ったものとか、マスクとか、諸々!
今回は薬草系だけど、転売は転売。許してはいけない。
「皆が欲しいものを高額で売れば儲かるんじゃね? みたいな考えは分かる! だけど、それじゃあ商品を必要としている人のもとに届かない!」
それに、作り手にも失礼だと思うんだよ。転売した利益は全部転売ヤーに入るんでしょ? 公式(生産者)には入らないんでしょ? 品質だってどうなんだ? 劣化してないよな? 質の悪い“ゲンキノツボミ”から作った薬で体調が更に悪化したら、どうしてくれるんだよ!
「許しちゃおけん、滅すべし……。ってことで犯人捜ししましょう! ウォロ先パイも協力してください」
「……」
ウォロは無言で私を見つめ――穏やかに微笑み、
「ジブンは遠慮しておきます」
と言った。
「何で!」
「何で、と言われましても……。犯人を捕まえるのは警備隊などの仕事であって、我々商人の仕事ではないからです」
「それは! ……そうかも、しれませんけど……」
私は唇を尖らせた。
お客さんが1番困るじゃないか。それに、商会をバカにしているような行為じゃん。真面目に働いてる私たち何なのって話じゃん。ズルい人や悪い人が得する世の中ってどうなんだ?
……でも、このヒスイ地方に商売に関する法律みたいなのってあったっけ? マネーロンタリング? インサイダー? ええと独占禁止法、とか? あー。ここは前世の日本じゃないから分かんねえ~!
「このヒスイの地では、イチョウ商会が大きな商会で勢力があります。幅広い人脈を持っていることは間違いありません。転売をしている人間がどこの誰なのか。判明するのは時間の問題でしょう」
犯人が分かったら商品を売らないようにすればいい、とウォロは語る。
「後輩さんの言う通り、行き過ぎた転売行為……、てんばいやー、は経済に大きな影響を与えます」
このヒスイの地には、商売における法律なんかが完全に整備されているわけではないようだ。まだ発展途上なんだよな。
転売に関する法は敷かれてないから、例えば警察みたいな所に訴えてもどうすることもできない。
私たちの商売は、人の善性の上で成り立っているらしい。
でも……。
「商いを営む人間たちに睨まれたらどうなるか……。てんばいやーは身を持って知ることになるでしょう」
ウォロは人差し指をピンと立てた。
「それまでジブンたちは、いつものように仕事をしておくべきですよ。もちろん、対策は取った上で」
「むぅ。じゃあ、何で私には先に教えてくれたんですか。ギンナンさんが後で話してくれるんでしょ?」
うちの商会は古参メンバーとか、それなりの役職(のようなもの)を持った人たちで話し合ってから、私みたいな平の商人に連絡事項が行く仕組みだ。
ウォロは(サボることはあるけど)業績はいいみたいだから、そういった話し合いに呼ばれるらしい。
「どうしてですか、ウォロ先パイ」
「さて」
ウォロは口の片端だけ上げるような笑いをして、肩をすくめた。
「どうしてでしょうね。後輩さんならどんな行動を取るのか、少々気になってしまいまして」
「はあー?」
何だ、それ。
「ジブンは、後輩さんの行動力に驚かされているんです」
目が離せないんですよ、とウォロは意味深に笑うだけだった。
ウォロの予想通り、あの後臨時の集会があって、転売ヤー対策を取ることになった。
対策といっても大層なものじゃない。購入制限を設けるというシンプルなものだ。
購入制限を設ければ商品の仕入れができないから、転売も防げるはずだ。
イチョウ商会以外の商会も同じ対策を取ってくれるらしいし、これで転売ヤーが大人しくなってくれるといいな。
でも、前世でも転売ヤーってしぶとかった記憶がある。
ヒスイの転売ヤーも、もしかしたら……?
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