突如咆哮した“それ”は、赤い瞳でウォロを一瞥したあと、影の中へ溶けるように消えた。
「――」
氷雪の世界に静寂が戻ってきた。
しばらく呆然と宙を見ていたウォロだったが、
「もしや。……いや、まさか」
あることに思い至り、編成隊がいる方へ駆け出した。
***
洞窟の中は大乱闘、大混乱。
技のぶつかり合いから発生した、一瞬の硬直。そこからすぐに復活したのは、ゾロアークだった。
「くぅわあああん!」
再び【バークアウト】を放つゾロアーク。ひらりと躱したズバットが、鋭い風――【エアーカッター】を放つ。
「ガッ!?」
次の瞬間、ズバットの羽が静止し、地面に落ちた。ゾロアたちが【かげうち】で背後から奇襲したんだ。数の力がこの勝負を制した。
「くそ、使えねぇ奴め」
リーダーの男が舌打ちした。
「使えねぇってなんだよ! ズバットの実力を発揮できなかったあんたがダメなんじゃん!」
「黙れ小娘! 逃げられると思うなよ」
リーダーがナイフを出して凄むが、ゾロアークが私を庇うように前に出た。へへん、怖くないやい。
どうやらこの男、ズバット以外のポケモンは持っていないようだ。
「私たちの勝ち。さあ、そこ退いて」
「まだだ、まだ負けてない」
リーダーの男の顔が醜く歪み、ナイフを持つ手が震える。
「ここで終わってたまるか! 俺は――俺はのし上がって、見返して――」
「ゾロアーク!」
技を出して気絶させてもらおう。ゾロアークがこくりとうなずいた、その時だった。
「へへ。そうですよ、お頭。俺たちはまだ負けてない」
私たちは弾かれたように洞窟の入口に視線を移した。
「あっ、あんたは……!」
黄色い着物の男が下卑た笑みを浮かべて立っていた。
引き連れているのは、ユキカブリ。
そして――。
「オ、オニゴーリ……?」
***
編成隊はすでに野営地に突入していた。ウォロは出遅れたと少し焦るが、隊員たちの姿を見つけ、素知らぬ顔で紛れ込んだ。
「状況は?」
「ウォロさん! 今、転売ヤーのひとりを捕まえたところです」
捕縛されたのは緑色の着物を着た男だった。後ろ手に縄で縛られ、しおらしくしている。
ギンナンも側にいて、苦りきった表情を浮かべていた。
「こいつら、ここを離れるために、荷物をまとめていたようです」
「おーい、あっちに檻に入れられたポケモンもいるぞ!」
「“ゲンキノツボミ”や他の薬草もあるぞ! もしかして商売になりそうなものは、片っ端から……?」
隊員たちから疑いの目を向けられ、緑着物の男はたじろぐ。そして、もう己が逃げられないことを悟ったらしく、ふて腐れながら「そうだよ。俺たちの商品だ」と言い放った。
「商品、だと?」
ギンナンが珍しく声を荒げた。
「おまえたちは商会から商品を買い、わざわざ高値に設定してから売りつけていただけだろう! これを商売だなんて、おれたち商人は認めない。客を金づるとしか見ないおまえたちを認めない」
他の隊員たちも険しい表情で緑着物の男を睨む。
「おまえたちの仔細はあとで訊く。それで、あの子はどこだ。おれたちの仲間の商人を攫ってどこへやった?」
「……ここじゃない。攫ってきたポケモンたちを入れる場所がある」
緑着物の男は素直に居場所を吐いたが、ギンナンたちを見渡して自虐気味に笑った。
「でも、もうダメかもな」
「何が言いたい」
「あいつ、俺に逃げる準備を押しつけてあっちに行っちまった。2人がかりなら逃げ切れたってのに。……あいつはさ、鼻が利くんだ。己の欲望に忠実って言えばいいのか。一度キレちまったら、お頭でさえ手がつけられねえ。あの商人の女、今頃――」
ギンナンが「どういうことだ」と詰め寄るが、緑着物の男はただ笑うだけだ。
「ギンナンさん。一刻も早く、彼女のもとへ向かいましょう」
努めて冷静さを保っているが、ウォロの心はざわめいている。
あれが反応しているのであれば、もしや、相見えるのではなかろうか。
しかし、高揚感と焦燥感が綯い交ぜになって、本当の心がどこにあるのか分からなくなってくる。
(早く彼女を救い出さなければ)
そうすれば、いつもの自分が戻ってくるはずだから。
***
まさかの追加戦力! オニゴーリにユキカブリなんて聞いてないぞ。
「お前、あっちはどうした」
「いいんですよ、細かいことは。俺は手が必要だからと思って来ただけのこと。――こっちの方が、どう見ても楽しそうじゃねえですか」
黄色い着物の男はニヤニヤと私を見やる。
「お頭の予想通り、商人や村の奴らが大勢でここに押しかけてきました。俺たちが捕まるのも時間の問題でしょう」
「……クソ。もうここに来やがったか。おい、逃げるぞ」
「逃げる? 冗談を」
黄色い着物の男はせせら笑った。
「俺はこの女をどうにかしてえやらねえと気が済まねえ。逃げるなら他の奴らとどうぞ」
「てめえ……」
ここに来て仲間割れか? 普通、部下はリーダーの指示に従うんじゃないの? ことごとく統率が取れてないよな。でも、こいつらって、ポケモンも人間も道具として扱っている点は共通してんだよな。誰も他人を信じていないなら、バラバラになるのも当然なのかも。
「この女に負けたのは癪だが、俺は逃げるぞ」
「ひとりなら逃げられるかもしれねえですね。俺たちを囮にして逃げりゃいい」
「……そうさせてもらう。ここで終わるわけにはいかねえ」
リーダーは滑る地面に足を取られつつも、洞窟から外へ逃げていった。……倒れたズバットを顧みることは、とうとうなかった。
私は黄色い着物の男と対峙する。向こうの手持ちはユキカブリ、オニゴーリ。どちらも恐らく体力は満タンだ。
「へへ。今、楽にしてやるからな。そのままお楽しみといこうじゃねえか。二度と逆らえないようにしてやる」
「気持ち悪……」
「まだ殴られ足りねえらしいな」
こいつとは因縁がある。私を散々殴ったり蹴ったりしたからね。お返しさせてもらおうじゃないか。
とはいえ、こっちの戦力はギリギリだ。ゾロアークは消耗が激しいし、レディーも全力の戦闘には堪えられないし、ゾロアたちも強力な技が使えるわけでもなさそうだ。エーフィも気絶したまま横たわっている。応戦できるのは2対2未満ってとこか?
「ケッ!」
「レディー、大丈夫?」
なんて考えていたら、レディーがボールから飛び出してきた。ファイティングポーズなんか取っちゃって、やる気満々だ。
「体力ギリじゃないの?」
レディーはえっへんと胸を張る。いけるのね、サンキュー。
「グルルルゥゥ!」
「クォーン!」
ゾロアークもゾロアもやる気だ。皆、限界だろうに……。
私も両頬を叩いて気合いを入れる。どっかの兄弟の真似してみたけど、これってマジで集中できるんだよね。
「ここを乗り越えて、帰るぞ!」
正念場だ。ポケモン勝負で決着をつけるぞ!
「【こおりのつぶて】」
オニゴーリとユキカブリが放った技を、ゾロアークが【バークアウト】でかき消した。
主軸にゾロアークを据えて、レディーたちにはサポートに回ってもらう。
「えーとえーと、……なんかいい感じに技をお願いします、レディーさん!」
「ケヒャヒャ!」
レディーは近接系の攻撃技しかなかったような気がするが……、なんかいい感じにやってくれるよね。と思ったら、レディーが泥の塊をユキカブリに投げつけていた。え、遠距離攻撃がある。あれなんだ、【どろばくだん】か!
「おわ!」
【こおりのつぶて】の余波がこっちに来たので慌てて避けた。黄色い着物の男がニヤニヤ笑っている。
「性格悪っ!」
「黙れ」
「わわっ」
またまた飛んできた【こおりのつぶて】。すぐさまゾロアークが【バークアウト】で技を打ち消す。むむ、これじゃ埒が明かないな。
ゾロアークは強い。けど、2匹はさすがに分が悪い。ゾロアたちも後方で頑張ってくれているが、いつまで持つんだろう。
まとめて2匹戦闘不能にできないだろうか。さっきのズバット戦みたいに、全員の力をひとつにできれば――。
ユキカブリの【このは】をローリングで避けながら、こっちの戦力を整理する。
レディーは【いわくだき】、【どろばくだん】、【どくばり】。
ゾロアークは【バークアウト】、【かげうち】、【スピードスター】。
ゾロアたちも【かげうち】が使える。
けれど、ユキカブリもオニゴーリもこおりタイプ。彼らの弱点をつける技は、かくとうタイプの【いわくだき】だが、何十発も叩き込む余裕なんてない。正攻法じゃ、勝てない。
「どうした。威勢がいいのは最初だけか」
黄色い着物の男は余裕綽々といった様子で、オニゴーリたちに命令する。
「行け! 【こおりのつぶて】」
レディーを狙った一撃。ダメだ、避けられない。
「くわん!」
「ゾロアーク!」
ゾロアークが身を挺し、レディーの代わりに技を受けた。
「まだまだ! 【こなゆき】だ!」
続けてユキカブリの【こなゆき】がゾロアークたちを襲う。
「くわあああぁぁん!」
「ああっ!」
ゾロアークはこれも避けられず、毛皮が細かい雪と氷で覆われていく。
「レディー、動いて。【どろばくだん】」
【こなゆき】の攻撃を止めることができたものの、ゾロアークの動きが鈍くなっていた。こおりタイプの技を受け続けたせいだ。慌てて駆け寄るが、ゾロアークが首を振って私を制する。立っているのも辛そうだ。
……これって状態異常の「しもやけ」なんじゃない? まずい、体力が減っていくぞ。
「最悪のタイミング……」
手元に道具があれば治してあげられるのに。ただでさえ消耗戦だっていうのに。こっちも状態異常になる技があったら、少しは――。
「……そうだ。状態異常だ」
うちのレディーの【どくばり】で「どく」状態にできれば勝機はある。でも、それだけじゃまだ足りない。
私の予想が正しければ、ゾロアークたちはあれを使えるはず。
私も喰らった、怖い幻覚を見せるあの技名は、多分きっと――。
「レディー、【どくばり】を打ち続けてほしい。できる?」
技を避けて応戦しつつ、レディーはコクリとうなずく。ゾロアたちも【かげうち】で手伝ってくれるみたい。
「ゾロアーク。ゾロアたちと一緒にあれをやってほしい」
私はゾロアークを介抱しながら、そっと耳打ちをする。
「――」
そもそも、【どくばり】が効かなきゃ威力は半減する。運任せの、作戦とも言えない作戦が、どこまであいつらに通じるのか。
「くわあん!」
任せろ、とばかりにゾロアークが鳴いた。
不思議と不安が消えていく。そうだ、私はひとりじゃない。ポケモンたちがいるんだ。
「……よし!」
不思議なことに、不安は消えていた。
ゾロアークも、ゾロアも、レディーも、信じてる。
皆、同じものを見据えている。
洞窟の出口を、その先を、未来を。
凍った地面に足を取られないように、私たちはしっかりと立ち上がった。
「あがいてもお前の負けは決まっているんだよ」
黄色い着物の男は余裕の態度を崩さない。もう勝った気でいるんだ。
「うるさいな。そうやって油断しとけ!」
レディーの動きはかなり鈍くなっている。が、懸命にオニゴーリたちへ【どくばり】を当てている。百発百中とはいかないが、レディーがあれだけ打ち込めば、効果は出るはず。
「【こおりのつぶて】だ」と男が指示を出すが、オニゴーリは苦しそうな表情を浮かべてその場でもがき始める。紫色の靄が見えて確信した。――よし、効いてる!
「クソっ、何してやがる。仕方ねえ。おい【こなゆき】だ」
オニゴーリの代わりにユキカブリが技を放とうとするが、
「きゅおおぉん!」
ゾロアたちの【かげうち】がユキカブリの背後に命中し、ユキカブリの技の発動を阻止した。
「レディー、【どくばり】!」
「ケッ!」
渾身の【どくばり】が、ユキカブリへ吸い込まれるように放たれる。
冷たい空気を切り裂いて、【どくばり】はユキカブリに命中した。
「!」
ユキカブリは目を回し、低い呻き声をあげてその場に座り込む。あれも「どく」状態と見ていいはず。
「おい、どうした。動けポンコツども!」
男がオニゴーリを蹴飛ばした。
もしかして、状態異常を知らないのか。ポケモン勝負でなら常識……。いや、ポケモンを虐げる奴なんだから、きっと、何も知ろうとしなかったんだ。
ポケモンたちにも感情はあるし、仲間を作って暮らすし、信頼したら信頼した分だけ、私たちに応えてくれる。
そこに人との違いはない。
駆け出す前に、ゾロアークが一瞬振り向いた。
「大丈夫」
――信じてる。
「ゾロアーク、ゾロア! お願い!」
「くわあぁぁぁぁん!!」
ゾロアークたちは咆哮した。途端、洞窟内の温度がぐっと下がり、暗闇が広がっていく。
「くそったれ、なんだってんだ」
やっと男が動揺した。私は思わずほくそ笑む。これは、お前がしたことだ。
反響する声、声、声、声。
音叉のように連鎖していく怨嗟。
氷点下より更に更に更に――骨の髄までに染み込む、恨み辛みをその身で味わえ。
「【うらみつらみ】!」
ゆらゆらとゾロアークたちの影が揺れ、男とオニゴーリ、ユキカブリへ襲いかかった。
「あっ、あぁぁ、やめろ、ふざけるなっ! こんなもん、そんなもんで――あぁぁぁあっつ!!」
男の絶叫はゾロアークたちの技の前でかき消され、洞窟内に静寂が落ちた。
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