第3章:転売ヤー絶許 - 13/13

 さて、ポケモン奪還の作戦を立てるぞ! っていっても至極単純なものだ。

 囚われのエーフィとゾロアたちの見張りを引き剝がす。解放、逃走、以上。こういうさ、頭脳を使うものって向いてないんだわ、ガハハ。おい誰だこいつアホだなって思ったの。その通りだわ。

 ゾロアークの案内で、私たちはとある洞窟に到着した。大きな岩陰に身を隠し、見張りの様子を窺う。あ、青色の着物がいる。

 なるほど。この洞窟の先にいるのね、エーフィたちが。

「よし、じゃあ頃合いを見てお願い」

 ゾロアークはコクリとうなずく。
 そして、頭のてっぺんから爪先までじっくり観察したあと、「くわん!」とひと声鳴いた。瞬間、陽炎のように姿がゆらめく。

 あっという間にゾロアークは「私」の姿に変化した。

「行ける?」
 
 この作戦の肝は囮のゾロアークだ。ゾロアークが見張りの注意を引いて気絶させ、エーフィたちを救出する手筈になっている。が、ゾロアークは転売ヤーたちに散々痛めつけられてきた。そのトラウマが蘇ってきたりしないだろうか。

「なんだったら、私とレディーが囮に」

 なろうか、と言い終える前にゾロアークは首を横に振った。朱い瞳に迷いはないようだ。

「そっか。了解! 頼んだよ」

 私に化けたゾロアークは、自信に満ちた足取りで見張りに近付く。

 見張りの男は、私に気付くと「お前どうやって」と取り押さえようとした。しかしゾロアークは、まるでそうすることが自然だとでも言うように、男の胸の中へ飛び込んだ。

「なっ、なんだよ。……っと、ふぅん……?」

 男は硬直したものの、すぐにだらしのない表情を浮かべた。ああ、あいつなんか下っ端の中では一番冷静そうに見えたのに、案外女好きだったのか。もしくは異性に免疫がないのかも。

 それにさ、今世の私の身体って、身長より胸に栄養がいってる感じなんだよね。あんなに密着したら男にとっては嬉しいんだろうな……、いや、実際ゾロアークが当ててるのって毛皮のような気もするが。

 まあ、あれですよ。下心は利用されるんだぞ。
 鼻の下が伸び切った男の顔が、みるみる恐怖へ歪んでいく。恐らくゾロアークが幻覚を見せているのだろう。

「ああ、や、やめ、はな、……うわああああああああ!!」

 男は必死に抵抗するが、ゾロアークから逃れることはできない。ジタバタと暴れてもゾロアークに拳も蹴りも当たらず、虚しく宙を切るだけだ。

「くわああん」

 ゾロアークが鳴いた途端、男は電池を抜かれたおもちゃのように全ての動きを止めた。力の抜けた手足がプラプラ揺れている。

 よーし、作戦成功!

「やったね、ゾロアーク!」

 私は岩陰から駆け寄り、変化を解いたゾロアークに抱きついた。

「きゅうん」

 ゾロアークも嬉しそうに尻尾を振っている。文字通り、一泡吹かせてやったわ。ちょっとはこれでリューインが下がるってもんよ。

「くわーん」
「ん、何これ」

 ゾロアークが差し出したのは、鍵の束。

「あ、この男の持ち物か」

 幻覚を見せている間、盗ったんだね。

「さすがすぎる。きっとこれ、何かの役に立つはず。っし、ちょっと待ってね」

 白目を剥いて倒れている男を見下ろし、爪先で身体に軽く蹴りを入れた。よし、ちゃんと気絶してるわ。あとは洞窟の奥に行くだけ。

 ゾロアークと目配せをして、私たちは洞窟の奥へ急いだ。

 エーフィは、2匹のゾロアたちと檻の中に入れられていた。力なく横たわるボロボロのエーフィの身体を、ゾロアたちが必死になって舐めている。

「エーフィ!」

 声が反響する。おっと見つかる。忍べよ私。

「あ、ちょっと待って! 鍵穴があるから、これ使える!」

 ゾロアークが技を出して檻を壊そうとしているので、慌てて待ったをかけた。

「んーと、これ、かあ?」

 何度か挑戦して、正解の鍵を発見。ガチャン、と希望の音がして、私はエーフィたちを解放した。

「……よかった。エーフィ、息してる」

 微かに上下する腹を見て安心した。でも、これ治療しなきゃダメだ。回復の道具がないのは痛いな。背嚢がここにあったらなあ……。

「カイちゃんのエーフィだ、なんとしても連れ帰るぞ」

 一方、ゾロアークとゾロアたちは感動の再会を果たしていた。

「きゅーんきゅーん!」
「くわあああん!」

 ゾロアークの腕の中にゾロアたちが集まって、ぎゅうぎゅうと団子のように身を寄せ合っている。胸が温まる光景だ。

「よかったね」

 ゾロアークが短く鳴いた。ゾロアたちも尻尾を振っている。

「よし、皆でここを脱出だ」

 私はエーフィを抱きかかえようとしてよろけた。非力過ぎじゃん。筋トレしとけばよかった。せめてボールに入ってくれたらな。まあ、カイちゃんはモンスターボールを使ってないんだけども。

 ふらふらする私を見かねて、ゾロアークがエーフィを抱きかかえてくれた。

「ありがとね」
「くわん」

 もしかしてゾロアークだけでエーフィを奪還できたのでは。私も洞窟の外で待っておけばよかったな。いや、それはどうなのさ。私がいたから、余計な体力使わず檻の鍵を開けられたんだ。……ってことにしておこう。細かいことは気にすんな。私に頭脳労働は期待しちゃいけないぞ。

「残りのゾロアたちも見つけよう。絶対、全員でここから逃げるんだ」

 ゾロアークは静かにうなずく。その瞳には、決意と覚悟が浮かんでいるように見えた。

「よし、行こう」

 ゾロアークの後に続いて出口を目指す。ここまであっさりと上手くいっている。でも、順調過ぎて、逆に――。

 何だろう。何に私は引っかかっているんだろう?
 目に見えない「不安」が洞窟から追っかけてくるような気がして、自然と歩く速度が上がる。

 早く、早く外へ!

「ズバット、やれ!」

 バシュッ、と風を切る音がした。瞬間、風圧で髪が舞い上がり、頬を何かが掠めていく。ドオォン、という鈍い音が、洞窟内に反響した。

「あ……?」

 頬が熱い。触れた指先に赤いものがついていた。うわ、これって、血――。

 反射的に振り返る。洞窟の壁が、抉れていた。

 これ、もしも直撃していたら――。

 全身が一気に冷えていくのが分かった。お、終わってた! 私の人生、ここで終わってた! 心臓が縮み上がっとるわ!

「うぅぅぅ……!」

 隣にいたゾロアークが、喉の奥から低い唸り声を漏らした。でも、ほんの僅か、怯んでいるような気もする。

「やっぱり裏切ったな」

 洞窟の入口からゆっくり歩いてきたのは、赤い着物の男――転売ヤーのリーダーだった。その腕には、哀れなゾロアが3匹も収まっている。どこからともなく飛んできたズバットが、男の傍でくるりと宙を回った。

「入口は出口にならねえんだよ。逃亡者にとっては、な」

 くそ、こいつが邪魔で洞窟から出られない。

「下手に抵抗するなよ。でなければ……」

 リーダーの男は、懐からナイフを取り出し、邪悪な視線をゾロアに向けた。人質なんてズルい!

「おら、戻れよ」

 男が一歩、前に出た。私はゾロアークを盗み見る。ずっと辛そうにしているな。……仕方ない。私はゾロアークに声をかけ、一歩、また一歩と、ゆっくり後退する。

「どうしてここに私たちがいるって、分かったの」

 洞窟の奥へ戻りつつ、私はリーダーへ問いかけた。

「さっきも言っただろ。このゾロアークが裏切って、お前を逃がすと踏んでいたからだ。どういうわけか、お前をしきりに気にしていたからな」

 男はゾロアークから目を離さずに答える。

「だから、お前への見張りはつけず、ゾロアークを泳がせておいた。仮にゾロアークが助けにこなかったとしても、お前は何の抵抗もできなかっただろう? 放置するだけでよかったんだよ」

 ムカつく。実際縛られていたし、こいつの言う通りだから、ぐうの音も出ない。

「それに、手下の青いのから定期連絡が来なかった。……俺たちにはズバットを使って連絡する手段があるのさ。あいつがやられたと分かった時点で、お前らがそっちに向かってるってことくらい、すぐに察しがついたさ」

 それって……。その言い方だと、あの青い着物の奴、ある意味見殺しにされたってことか?

「しかし、商人のお嬢ちゃんは、本当に。ひとりで逃げりゃ、こうしてまた、俺たちに捕まらなかったっていうのに。足手まといのポケモンを連れて、無事にここを脱出できると思っていたのか?」

 それなら随分頭がおめでたい、とリーダーは笑う。なんだよ、こいつ。むかっ腹が立ってきた。いい加減何か言ってやらなきゃ気が済まない。

「私はあんたと違って、ポケモンを仲間だと思っているもん。助けなきゃ女が廃るっての!」
「違うさ。俺の便利な道具だ。黙って俺の言うことだけを聞く、な」
「クソ野郎じゃん」

 こいつには良心ってものがないのだろうか。

「あんた、ポケモンを道具扱いどころか、あの青い着物の奴すらも捨て駒扱いして! 仲間なんじゃなかったの?」
「はっ。仲間ぁ? っく、くくく、ははははははっ!」

 男の嘲笑が洞窟内に響き渡る。わ、笑いすぎじゃない? 私、何もおかしいことは言ってないよね!?

「……ふっ、ははは。道具、なんだよ。全部全部、道具なんだ」

 喉の奥から絞り出したような、低い声だった。

「商人の嬢ちゃんに世間の厳しさを教えてやろうか。世の中ってのは、弱肉強食。長い物には巻かれろ。奪われる前に奪わなきゃ、上手く生きていけねえんだ」

 空気が変わった。肌がピリつく。リーダーの男から笑みが消えている。真顔、だ。

「……向こうが俺らを道具扱いするんなら、俺だってそうしていいはずだ。そうだろ、なあ? そうじゃなきゃ、理不尽だろうが」

 知らねえよ、と返してやりたかった。が、今、下手に向こうを煽ったら、人質のゾロアが傷つけられるかもしれない。
 リーダーの男と話していたら、洞窟の行き止まりまで来ていた。エーフィたちが囚われていた檻がある。

「まずその背負ってるポケモン、全部降ろせ」

 命令に逆らうこともできず、私はエーフィを冷たい雪の上に横たえた。……ポケットの中に入れたモンスターボールが揺れる。やれるの、レディー。

 ゾロアークは、歯噛みしながらゾロア3匹を地面に降ろした。きゅーんきゅーんと甲高い声が胸に刺さる。

「すっかり出会った頃みてえになったなあ、お前」

 ナイフよりも鋭いゾロアークの視線が、リーダーに突き刺さる。だけど、そんなんで怯むわけもなく――。

「ったくよお、なあ。もう一度、教育が必要だよなあ? 見せしめが必要だよなあ? 今のお前は――そうだな。これがいいか?  商人の嬢ちゃんと戦え」
「はぁ? あんた、何言って――」
「商人のお前は! ゾロアークの再教育の道具なんだよ! もう一度! 逆らったらどうなるか、分からせるために!」

 グルルルル、とゾロアークがリーダーへ威嚇した。苦しくてたまらないというような、低くて重い声だ。
 身体がわなわなと震えている。それは、怒りなのか。それとも、痛めつけられた記憶からなのか。
 ゾロアーク……。この子が大切なのは、きっと、ゾロアだ。だから、今までどんな理不尽な目に遭っても、この転売ヤーたちに従ってきたはずだ。

 ――私を信じて。

 そう言って、私は、ゾロアークを味方につけたんだろ。
 私が無理を言って、この子を裏切らせたんだ。
 だったら――。
 短く息を吸って私はゾロアークへ向かって叫んだ。

「ゾロアーク」

 私を攻撃してと言いかけた、その時だった。

「くあああん!」

 私たちが保護していたゾロアが一斉に鳴いた。

「わわ、何!?」

 ゾロアたちの影が伸びたように見え――洞窟が薄暗いから見えづらいが、これは【かげうち】か――リーダーの男の背後に回る。

「ちくしょう、何だってんだ!?」

 リーダーが怯んだ隙を突き、ゾロアの【かげうち】が男の背中に命中。衝撃で拘束が緩む。

「くそ!」
「きゅーん!」

 人質ゾロアたちが後ろ足で大きく男を蹴り上げた。3匹一斉に蹴られたら、小さなゾロアといえど、ひとたまりもない。

「やった! こっちに!」
「ズバット! 攻撃しろ!」

 逃げるゾロアたち目がけてリーダーが叫ぶ!

「シャアアアア!」
「くわああああんん!!」

 命令を受けたズバットの【エアーカッター】が、風切り音と共に炸裂した。しかし、ゾロアークの怒りの咆哮が、闇の衝撃波となってそれを打ち消す。――【バークアウト】だ!

「っく」
「目が――」

 技同士がぶつかり合った衝撃で、私は顔を覆った。

***

 雲が薄れた夜空に、欠けた月が輝いている。冷たい雪道を行く編成隊を導くように。

 ハチミツを辿って、どれくらい歩き続けただろうか。

 ウォロたちは、雪に囲まれた、とある洞窟の前で足を止めた。洞窟の周囲には、奇妙な沈黙を放つ野営地があり、そこから人の気配がした。

 先頭の隊員が「しっ」と言って身を屈め、岩陰に隠れた。
 痛いくらいの沈黙がウォロたちを包む。

 カイの話では転売ヤーは4人いて、ノボリの見立てでは、ゾロアーク以外のポケモンたちを従えているという。戦闘は避けらない。偵察として、2人の隊員が周囲を調べにいった。

(……さて、と)

 ウォロはしゃがんだまま、音を立てないように後退した。幸い、ギンナンやカイたち多くの人間は、野営地の方ばかり注視している。

(背中に目はついていないのだから、その分気を配るべきだろう。……まあ、お陰でワタクシも動きやすいのですが)

 途中、目敏い隊員に「どちらへ」と問いかけられたが、廁だの何だの適当に理由をつけ、隊列から抜け出した。
 ウォロは足早に雪原を進む。隊員たちから見つからず、しかし、姿を適度に観察できるくらいの距離を確保したいところだ。

(ここでいい)

 雪は止んでおり、視界は良好だ。適当な場所に大きな氷塊を発見したので、ウォロは身を滑らせるように、影へ隠れた。

「――」

 ウォロはポケモンの名を、呼んだ。僅かな沈黙の後、月に照らせれたウォロの影がぐーっと伸びて、人ならざる者の形を取る。
 感じる。深い雪よりも冷たい、その異様な気配を。

(……この辺り一帯に、人やポケモンの気配は)

 あるのか、とウォロは問いかける。しかし、かのポケモンは無言を貫いたまま、微動だにしない。

(聞いているのですか)

 返事は、ない。ウォロはギリギリと奥歯を噛みしめた。

(何故、何も答えない!)

 湧き上がる衝動に任せ、ウォロは岩を殴った。じくじと痛む拳が、ウォロの理性に語りかける。

 ――何故、あの娘のために、必死になっているのか。

 このポケモンは、アルセウスが絡まない事象に介入するものか。少し考えたら分かることだ。ウォロは首をゆっくりと横に振る。

(そうだ。ワタクシ自らが画策しなくとも、あの娘は助かるだろう)

 仮にアルセウスの加護があるならば、彼女はここで失われる人間ではないのだ。何かを秘めている彼女を見定めるいい機会だ。このまま傍観していればよい。
 そうでなくとも――あれだけ彼女を慕う人間がいるのだ、ウォロがわざわざ骨を折るような真似をしなくてよいはずだ。

 ――大人しく隊列に戻り、時を待てばいい。

 一歩踏み出したところで、しかし、歩みが止まる。凍りついたように、その場から動けなくなってしまった。

 ウォロは震える手で顔を覆った。

(馬鹿な。ワタクシはあの娘に対して――よりにもよって、助けたいと思っている)

 ――何故、何故、何故! あの娘が特別だとでも?

(知らない。分かりたくない。ワタクシの世界にあの娘が入り込んでいる。何故)

 ウォロから伸びた影は沈黙を保ったままだ。

「……どうしたら、いい」

 喉の奥から絞り出した声は、凍てつく土地に虚しく落ちた。

 ゾクリ、と背中が粟立つような気配がした。
 ウォロは慌てて背後を振り返る。

「っ、な、何が」

 爛々らんらんとした赤い点が2つ、影から浮かび上がる。
 “それ”は凍土で冷え切った骨身を、より一層、震え上がらせる。

「ワタクシの呼びかけに応じなかったというのに、一体、何があったというのです?」

 困惑するウォロを一瞥したのち、“それ”は咆哮した。
 まるで、届かぬ月に手を伸ばすように。

「ビシャアアアアアァァーンッ!!」

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