第3章:転売ヤー絶許 - 15/16

***

 洞窟に自分の呼吸が反響している。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 技を喰らった男たちは、冷たい地面に伏して動かない。

 ――【うらみつらみ】。

 相手が状態異常であれば、威力が2倍になるゴーストタイプの技だ。

「しもやけ」状態にする技でもあるが、こおりタイプは「しもやけ」にならない。だから、レディーの【どくばり】で「どく」状態にする必要があった。

 ゾロアークとゾロア、レディー。誰か1匹でも欠けていたら、仕掛けられなかった技。

「や、やったか!?」

 しまった! フラグになること言った!

「うわあ」

 案の定、すぐにフラグを回収してしまった。オニゴーリがよろよろと宙に浮かび、こちらを睨みつけている。

「きゅうう…」

 ゾロアークは膝をついて苦しそうに喘いだ。ゾロアたちも目を回している。【うらみつらみ】は残った気力を振り絞って放った技だった。

「ゾロアーク、無理はしないで。レディー、ボールに戻すね。ありがとう」

 レディーは私に身体を預けて倒れてしまった。【どくばり】を何十発も放ったらこうなるよな。

 どうしよう、もう打つ手がない。オニゴーリがガアッと大きな口を開ける。きっと来るのは【こおりのつぶて】。

 瞬間、脳内でもうひとりの自分が「違う!」と叫んだ。

「【つららおとし】だ!」

 大きな氷柱を発射したオニゴーリが力尽きて地面に落ちる。やばい、これ――右に飛べっ!

「あぐっ」

 冷気が脚に走る。
 感覚が、麻痺した。遅れて激痛が押し寄せる。
 攻撃を避けきれず、私は洞窟の氷壁に激突した。

「いっ! うう……」

 狭まる視界の向こうで誰かがこっちにやって来る。……あの黄色い着物の男だ。怒りが足音に表れている。あいつ、気絶してなかったんだ。

「はぁ、あっ、あう……」

 氷の地面は滑りやすくて上手く立ち上がれない。男はすぐ側まで来ていた。逃げ、られない。

「痛っ!」
 
 髪を乱暴に引かれ、強制的に上を向かされた。痛みが走り、目に涙が滲む。

「よくもやりやがったなっ! ただで済むと思うなよ!」

 激しい憎悪を浴びせられ、身体が硬直した。
 ……助けを呼ぼう。外に皆が来ているんなら、洞窟の外に誰かいるはずだから。

「離せよクソ野郎!」

 次の瞬間、ガンと強い衝撃を受けた。地面が視界いっぱいに広がる。受け身を取り損なって、一瞬息が詰まった。冷たいんだか熱いんだか感覚がぐちゃぐちゃだ。

 黄色い着物の男が馬乗りになって私の胸ぐらを掴む。

「今ここで二度と歯向かえないようにしてやるっ!」

 脳が危険信号を出している。あ、これ人生最大の危機だ。
 レディーはボール。ゾロアークもゾロアもエーフィも気絶したまま。
 助けは来ない。何もできない。私は無力。

「よそ見たぁ、随分余裕じゃねえか。なあ、おい」

 男は黄ばんだ歯を見せて笑う。

「声は出すなよ、萎えるから。せいぜい楽しませてくれや」

 様々な思いが脳内を駆け巡る。こうなったのも私の考えが浅いせいか? 勢いに任せて突っ走ったせいか?

 何もせずにカイちゃんと逃げればよかったか?
 いや、そんなの無理。

 あそこで何もしない私なんて私じゃない。
 なら、反省しても後悔なんてするもんか!

 不思議と怖くはなかった。これから苦痛が待ち受けているのは確実なのに、心は妙に穏やかだ。

 誰かがここまで助けに来てくれているなら、私は時間を稼ごう。こいつは私をどうにかするまでここから動かないはず。

 こいつらは絶対許さない。私が犠牲になって、捕まえられるんなら本望だ。

「……ご、ごめんなさい」

 私は掌で顔を覆い隠し、震える声を絞り出した。

「だって、わ、私……やめて、もう乱暴、しないでぇ……。い、痛いのは、もうやだぁ……」
「はははっ。今更泣いて詫びたってそうはいかねえよ。最初から大人しくしておけば、可愛げがあったのによ」

 男は上機嫌で私の服に手を掛けた。ああ、なんて分かりやすい奴なんだ。そう簡単にありつけると思うなよ。

 私はニヤリと笑って大きく身を引き、

「やってみろ!」

 男の顎に頭突きをかました。
 一瞬、世界が止まる。
 同時に――辺りが白い光に染まった。
 

 ドドギュウウーン!!
 ビシャーンッ!!

 ポケモンの鳴き声のような、轟音と共に。

 そこから起こった出来事は、まるでコマ送りのように記憶されている。

 まず、黄色い着物の男が私から離れた。顎を押さえて何か叫んでいる。さっきの轟音のせいで言葉が聞き取れない。

 とにかくこれは逃げるチャンスだ。混乱する男から離れたところで、男の背後に影が見えた。

 ウォロだ。ウォロが必死の形相でこちらに走ってくる。

 目と目が合った途端、ウォロの顔が歪んだ。

 先パイ、と呼びかける前に、ウォロは背負っていた背嚢ごと、黄色い着物の男に体当たりをかました。

 男は突然現れたウォロに反応できなかった。スポーツでも何でも、たっぱがある人間はあらゆる面で有利だ。ウォロはその身長を活かして、黄色い着物の男を無力化した。

 続いて、グレイシアを引き連れたカイちゃんと、ゴーリキー、そしてノボリさんまで現れた。

 力尽きたと思われたオニゴーリはまだ動けるようで、それらを制しつつ、ウォロたちは黄色い着物の男を捕縛する。

 私はただぼーっとしながら、その様子を眺めていた。

 そっか。
 私、助かったんだ……。

 遅れてやってきた安堵感に身を任せていたところ、

「後輩さん!」

 ウォロがこちらに駆け寄ってきた。ついでに肩を強めに掴まれる。

「大丈夫ですか」
「あ、うっす。大丈夫っす、はい」

 珍しい表情をしている。この人の焦ってるとこ、初めて見たな。まあ、ゲーム本編ではこの悪役のせいで色々大変な目に遭ったんだし、ちょっとくらい動揺させたってバチは当たらんのでは。

 ウォロは私の頬に手を添えて険しい顔つきになった。そっ、と親指で軽く撫でられる。

「腫れているじゃないですか」
「んえ? あ、殴られたんで」
「殴られた? この男にですか」

 縛った男に視線が向いた。

「あ、はい。この転売ヤーには髪を引っ張られて、殴られて、えーと……あと何かあったかな」
「なんですって?」

 いつもより数倍低い声がウォロの口から飛び出て、雰囲気が変わった。あ、これあれだ。すごく冷たくなるやつだ。
 凍土に負けないほどの冷たい瞳が、縄で縛られた男へ向けられる。

「彼にも同じ目に遭ってもらえばよろしいでしょうか」
「いやいやいや!? 待って待って待って!」

 ウォロってこんなキャラだったっけ? 私のためにこんなことを言う感じの人だっけ?

 商人モードの時は多分言うのかもしれないけど、この化けの皮が剥がれている(って言い方が的確なのか?)時ってこんなこと言うんだっけ。他の人間なんて、どうでもよさそうなキャラじゃなかった?

 あ、今はそれどころじゃない。多分このままだと、ウォロが転売ヤーの髪の毛全部毟っちゃうんじゃねえの? ハゲだけは勘弁して差し上げて!

「あーっとウォロ先パイストップストーップ! ステイ! 待て!」

 ウォロが振り返った。何故止めるのかと言いたげな顔で。

「何してんすか。この男たちは警備隊とかにしょっ引いてもらえばいいんですって! 転売では無理だけど、私への暴行なら罪になるでしょ。他にもなんか悪どいことしてるっぽいし、そこらは任せましょうよ。ウォロ先パイが手を汚すこたぁないんだから」
「それでアナタはいいんですか」
「いいよ! これ以上何を望むってんですか!」

 目には目を、歯には歯をとか流行んないっすよマジで!

「私がいいからいいの、ウォロ先パイ!」
「どうして」

 いつもより、うんと低い声だった。

「どうしてアナタは、いつもそのような調子で、恨まないのですか」

 ――世界を。

 口には出さなかったが、ウォロがそう言ったような気がした。
 いつになく真剣で、悲しそうで、悔しそうで――寂しそうで。

「……」

 困るなあ。なんて答えたらいいんだろう。
 たくさん理由はあるけれど、一番はこれ。

「好きだから、ですよ」

 この世界が、好きだからだよ。

「ポケモンが好き、商会の皆が好き、ここにいる人たちが好き。……悲しい思い出はあるよ。恨むこともあるよ」

 どうしてこんな目にって、思うこともあるよ。

「でも、恨んでばかりの気持ちでいたくないんだ。そんなんで一生を終えたくないんだよね」

 瞳を丸くするウォロへ、私は笑いかける。

「私は『アタシ』のためにも、最高にハッピーな思いを抱いて、この人生を味わいつくしてやるんですっ!」

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