「キバナ様!」
「メリア、声。少し静かに、な?」
「……失礼しました」
普段は物静かなメリアもさすがに驚いて声が大きくなってしまった。まさかここでキバナに出会うと思っていなかったのだ。
「声をかけられなければ、キバナ様だと気付きませんでした」
キバナの私服は、まるでファッション雑誌からそのまま出てきたかのように洗練されていた。
グレーのチェスターコートにテーパードスラックスというモノトーンコーデ。そこにオレンジのタートルネックニットが、程よい“ハズし”として効いている。
髪を下ろしてサングラスを掛けているので、パッと見ただけでキバナと気付く者は少ないだろう。
よく見ればピアスや小物類も彼のこだわりが窺える。センスがいいな、とメリアは思った。
「キバナ様はお買い物、ですか?」
「ああ。ジュラルドンの手入れに使っている道具を買いに来たんだ。メーカーにこだわりがあって、シュートシティのショップにしか置いてないんだよな」
「なるほど」
ジュラルドンの身体は軽くて硬いが錆びやすいのが欠点である。そのため、ジュラルドンを手持ちにしているトレーナーはこまめにジュラルドンの身体を手入れする必要がある。
(キバナ様は勝負で天候を操るから、その分、ジュラルドンを念入りにお世話しているのね。道具や食事など、お気に入りのメーカーもあるのでしょう)
メリアがひとり納得していると、
「メリアはどうしてここに? 買い物か? それとも待ち合わせ? 誰かと遊びに来た、とか?」
キバナから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「え、ええと……」
メリアは答えに窮した。
(お礼の品を買いに来た、と本人に言いづらいわね。いえ、言ってもいいのかもしれないけれど……)
キバナのことだ、「気にするな」と言って買い物自体をやめさせようとするかもしれない。
いや、バカ正直に自分の事情をキバナに明かす必要もないか、とメリアは思い直す。
(誰にプレゼントを買いに来たか、伏せればいいだけじゃない)
「プレゼントを買いに来たんです」
「プレゼント?」
「と言っても、大層な物ではなくて。こう、邪魔にならない程度のお礼の品と言いますか」
「相手は?」
「男性です」
「だん!? せい? ダンセイ……?」
キバナは、初めて「男性」という単語を聞いたかのような反応を見せた。
「そ、そうなのか……」
「好みが分からないので苦戦しそうですが、頑張るつもりです。それではキバナ様、これで」
「ちょっと待った」
去ろうとするメリアを引き止めるキバナ。
「あー。メリア。ひとりで来たんだよな? だったら、オレさまと一緒にどうだ?」
「どうだ、とは?」
意図が分からず、メリアは瞼を瞬いた。
「ほら、男性に贈るんだろ? だったらオレさまの出番だ。いいアドバイスができると思うぜ」
「なるほど……、同行していただけると。でも、キバナ様、お時間はよろしいのですか? 何か予定があったりは?」
「大丈夫だ。このあとのスケジュールはフリーで問題ないぜ。まあ、オレさまの行きたいショップにメリアも寄ってもらうことになるが」
今まで男性に何かを贈った経験がないので、キバナにアドバイスを貰えるのは非常に助かる。
非常に魅力的なお誘いだが、問題は贈る相手がキバナだという点だ。
(ご本人に贈るプレゼントをご本人がアドバイスしてくれるって、どうなのかしら? でも、キバナ様が一緒なら好みも分かるし、欲しい物が見つかるかもしれないわね)
時間をいたずらに消費するよりも遥かにいいような気がした。
(大丈夫よ。相手はキバナ様。ガラルのトップジムリーダー。あの人とは違うのだから)
メリアはそっと拳を握り、覚悟を決めた。
「では、お願い致します。正直、何を買えばいいのかよく分からなくて。キバナ様が一緒なら心強いかと」
「ああ、このキバナ様に任せておけ!」
というわけで、メリアはキバナとキバナのプレゼント探しをすることになったのだった。
***
大通りを移動しながら、キバナは己の幸運に感謝していた。
ジュラルドンのケアのためにシュートシティに足を運んだ先で、まさか今、一番気になっている相手と出会えるとは……。
もう少しメリアと一緒にいたくて半ば強引に引き止めてしまったが、こうして隣を歩いているなんて奇跡ではなかろうか。今なら神様にキスのひとつや2つくらい捧げられる。
(私服、初めて見たな。黒のレース編みニットにカラーパンツ、か。このチョイスもメリアの言う『なりたい自分』を意識しているんだろうな。あー。パンツスタイルもいいが、一度、スカートを履いているメリアも見たい)
ほぼすっぴんに近い、マホイップのような状態のメリアならば、フレアスカートもチュールスカートも似合いそうである。
(……で、だ。どこのどいつなんだ、メリアがプレゼントを贈りたい男っていうのは!)
涼しい顔をしているが、キバナは内心焦っていた。
それはもう、大いに焦っていた。
ダンデに勝負で追い詰められた時と同じ――と言えば大袈裟だが、そのくらい焦っていた。
今誰かにポケモン勝負を挑まれたら、彼は約8割の確率で敗北することだろう。
一体どこのどいつなんだ、オレさまの知り合いなのか、と心の中で砂嵐が吹き荒れているが、その「どこのどいつ」とはキバナ本人である。
(プレゼントを贈りたいっていう男の情報を引き出して置かないとな。いや、これはあれだ。相手の好みが分からないとアドバイスのしようもないからな。別に敵情視察とか、そんなんじゃないからな!)
などと言い訳しつつ、キバナはメリアに問いかける。
「ところでプレゼントを贈りたい相手って誰なんだ?」
「相手、……ですか」
言い淀むメリア。
キバナに緊張が走る。
(頼む家族であってくれ。いやここは一歩譲って男友達……。いやいやいや、男友達から恋人に発展するパターンもあるだろ)
「――ええと……、他人?」
「他人!?」
投げたモンスターボールが予期せぬ方向に飛んで行った気持ちである。他人にプレゼントを贈るとはどういうことなのか。
「あ。いや関係性は他人ではあるんですけど、ええと……顔見知りではありまして……多分」
「顔見知り」
「困っていたところを、その人に助けていただいて。それで、私物を借りている状態でして」
「私物を借りている」
「それをお返しするついでに何か贈りたい、といった感じですかね」
「ふ、ふーん。なるほどな?」
キバナは混乱した。メリアが口元を綻ばせているからだ。
(メリアを笑わせる程の男なのか?)
キバナは想像する。
メリアと、メリアを助けたという男が寄り添っている姿を(ただし男が皆目見当もつかないので代役はダンデのリザードンだ。キバナが何度も辛酸を舐めさせられた相手である)。
メリアがリザードンにプレゼントを渡す。
リザードンが「ばぎゅあ」(ありがとう)とお礼を言ってメリアを抱き寄せる。
頬を赤らめるメリア。
甘い声で「リザードンさん」と囁く。
顎に手を添えるリザードン。
そして2人の顔が重なり――。
「ふっざけんなリザードン!!」
「キバナ様!?」
いきなりキバナが叫び出したので、さすがのメリアも驚いてしまった。
キバナはハッと我に返り妄想の残滓を振り払う。リザードンは悪くない。妄想の相手に選んでしまった自分の落ち度だ。せめて人間――ダンデにしておけばよかったのだろうか。いや、ダンデとメリアの仲睦まじい様子など例え自分の脳内でも嫌だ。【てっていこうせん】で何もかも薙ぎ払いたくなる。
「……あ、悪い。何でもない。何でもないんだ。ちょっと今までの勝負を思い出して……?」
「あー。キバナ様にとっては因縁深い相手ですよね」
「ああ、うん。そうなんだよな」
「それならば思わず叫び出したくなるのも納得です」
何度もうなずくメリアの姿が、キバナの目には可愛く映った。彼女を助けた男は、メリアのこういった可愛らしい一面をもう知っているのだろうか。ま、オレは知ってるけどな、とキバナの心の中には謎の優越感が生まれていたりする。
(っと、見惚れている場合じゃない。プレゼント選びに付き合うと言った手前、ちゃんとアドバイスしてやらないとな)
ライバルになるかもしれない相手だからといって適当なことはしない。それはそれ。これはこれだ。
「悪い。話が逸れたよな。じゃあ、まずはこのショップから見ていこうぜ」
「はい。よろしくお願いします」
キバナはメリアを様々なショップに連れて行った。メリアの希望は「消え物がいい」だったので、主に焼き菓子やチョコレートなど食べ物関連の専門店に足を運んだ。
その道中でキバナは「顔見知りの男」についての情報を引き出していく。
「好きそうな物とか知ってるか? 好みとかは?」
「全然見当もつかなくて。ううん、流行りものに敏感な気もします。あくまで私のイメージなのですが」
「流行りに敏感、か。じゃあ、テレビやネットで話題のものがいいのかもな。他に何か、知っている情報はないか」
「ええと……」
メリアはキバナを見上げた。
「オシャレ、ですかね」
「へえー」
「ポケモン勝負が強い」
「ほう……?」
「あと、男女問わず優しい人で、人気もあります」
「なるほど?」
連想ゲームのように断片的な情報が集まってくるが、
(誰なんだ。オレ、そいつ知っている気がするな? まさかダンデ? いや、あいつの私服ってダサいらしいからオシャレには当てはまらないか。ネズ……? ちょっとイメージ違うな? マクワって線も……。いや、何でオレの知り合いで考えているんだよ。違うだろ。ただの一般人っていう可能性があるだろ)
まさかキバナ自身を指しているという考えには、至らないのだった。
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