デートってこんな感じかなと思って - 4/4

***

 オイルパフュームの専門店を出たところで、すでに時刻は夕方の6時を指し示していた。

「ああ、私ったらついつい長話をしてしまいました。プレゼントを選びに来たのに目的が果たせていません」
「もう1軒くらい見てみようか」
「いいえ。もう大丈夫です。明日は私もキバナ様も出勤ではないですか。これ以上お手を煩わせるわけにはいきません」

 メリアは首を横に振った。

「キバナ様、お付き合いありがとうございました。私はもう少し探してみます」
「オレさまももう少し――いや、もういい時間だから、解散するか」

 オレさまも付き合うぜと言いたいところだが、食い下がると今度はメリアに警戒されてしまいそうだ。せっかく縮まった距離を微かな下心で台無しにしたくはない。

(結局相手が誰なのかは分からなかったな)

 タイミングが掴めず、訊きだすことは叶わなかった。

「それではキバナ様、また明日」
「ああ、またな」

 キバナはヌメラを思い起こす柔らかな笑顔で手を振った。

 深々とお辞儀をしたあと、メリアはキバナとは逆方向に歩いていく。彼女の姿はすぐさまショッピングモールを行き交う人の波へ消えていった。

 メリアの姿が見えなくなった途端、キバナはパタリ、と手を下ろした。電池が切れたおもちゃのように。

「……これで良かったのか?」

 キバナはともかく、メリアに収穫はあったのだろうか。

(あの調子だとメリアは何も買えなさそうだな)

 真面目故に色々考え過ぎて、彼女自身何が良くて何がダメなのか、基準が迷子になっていそうな気がした。

(まあ、正直オレさまには関係ないんだよな。メリアがプレゼント選びを失敗してその男と気まずくなっても、むしろオレさま的にはガッツポーズもので……)

 キバナは小さく首を振り、帰ろうと出口へ一歩踏み出して――。

「やっぱ無理だ」

 くるりと回れ右をして、キバナはメリアを追いかける。大股で歩く高身長の男性というのは目立つものだ。すれ違った誰かの「あれキバナ様じゃないの」「え、ウソ!?」という声が聞こえたが、キバナは構わず歩みを早めた。幸い彼女にはすぐ追いついた。

メリア!」
「――キバナ様? ど、どうされたんですか」

 振り返ったメリアは珍しく驚いた表情を浮かべていた。それもそうだろう。キバナが追いかけてくるとは思わなかったはずだ。

「少しアドバイスがしたくて」
「アドバイス?」
「そう。プレゼントの件。メリアが迷っているようだから、アドバイスだけしておきたいんだ」

 呼び止めた手前、きちんと言わなければならない。
 通行人の邪魔にならぬよう通路の脇に少し寄って、キバナはメリアへ訊ねた。

「少し訊きたいんだけど」
「はい?」
「その男とは、これから先も付き合いが長くなるのか?」
「その男? ああ、プレゼントを贈る相手のことですよね?」

 メリアは、目をぱちぱちと瞬いたしばたた

「ええ。そうだと思います。まだ半年ちょっとの付き合いではありますが」
「じゃあ……」

 キバナとしては敵に塩を送る形になるが、それでもメリアが真剣に悩んでいるのだ。彼女の優しさに応えてやりたかった。

 だから、こう言ってやるのだ。

「オマエの選んだ物なら……、心の籠った物なら、何だって嬉しいんじゃないか?」

 至極シンプルなひと言を。

 メリアはしばらく呆けた顔でキバナの顔を見つめていたが、ゆっくりと視線を床に落とし、「そういうものでしょうか」と呟いた。

「本当に、キバナ様はそう思われます・・・・・・・・・・・?」
「思うさ。メリアプレゼントしたい・・・・・・・って思わせる相手だろ? 仲良くなりたい、喜んでほしいって気持ちがどこかにあるんだぜ、きっと。ひょっとしたら、向こうも同じ気持ちかもしれない」
「仲良く……向こうも……」

 メリアは何やら考え込んでいるようだ。

「それに異性だからって先入観があるから、オマエの中でややこしくなっているのかもしれないな。こういうのに性別も年代も関係ないさ。シンプルでいいんだよ。オマエの気持ちが籠っているなら大丈夫だ。このキバナ様が保証するぜ」

 この言葉が後押しになったらしい。メリアはハッとした様子でキバナを見上げた。

「……あなたがそう言うのなら、そうなのでしょうね」

 雪解けを感じさせる穏やかな笑みだった。
 こおりタイプの声の中にフェアリータイプの声が滲み、キバナの鼓膜を震わせた。
 甘くて蕩けるような。中毒になりそうな。
 脳内がメリアの声で満たされる。

 メリアを思わず抱き寄せそうになり、キバナは慌てて自身の両腕を押さえつけた。

(あっぶ、危ないところだった! ドラゴンタイプのジムリーダーは、弱点となるこおり・フェアリータイプの対策を怠らない。普段の特訓が活きたな!?)

 それはポケモン勝負の場合なのであって、キバナに通ずるものではない。彼はだいぶ混乱していた。

「ありがとうございます、キバナ様。私、プレゼントを思いつきました!」
「ん? あ、ああ。それなら良かった。アドバイスした甲斐があったってもんだぜ」
「では、急ぎますので。それではキバナ様、また明日!」

 メリアは再び深々とお辞儀をして足早に駆けていく。キバナは朗らかな笑顔付きで手を振り、彼女を見送った。

「あーあ。何してんだろうな、オレさまは」

 正直、例の「顔見知りの男」とメリアの仲が万が一進展したら嫌だ。
 いっそメリアのプレゼント選びが失敗すればいいとも思いもしたが、それとこれとは話が別だ。

メリアの喜ぶ顔、曇らせたくねえよな」

 キバナは深い溜め息をついて来た道を戻る。失恋したわけではないのに、気分は少し下がり気味だ。

(あんなにも真剣に思ってもらえるなんて、相手の男は幸せものだよな)

 一体どこの誰なのか。機会があったらその後の進展など訊いてみたいところだ。プレゼント選びの協力者なので知る権利はあるはずだ。

「さあて、帰るか……?」

 今度こそ出口へ向ったキバナだが、心残りがひとつだけあった。
 オイルパフューム専門店で、メリアが熱心に見ていたあのパフュームボトルだ。
 メリアのことだから、あの男のプレゼントだけ買って自分の物は買わずに帰ったのではなかろうか。

 ショッピングモールを出てしばらく、キバナは自宅に帰らず辺りを右往左往していた。

 悩んで悩んで悩み抜いて――。脳が擦り切れるほどに悩み抜いて「あー! クソッ! こんなに迷うくらいならやれ! やらない後悔よりやった後悔だ!」と奮起した。

 向かう先は例のオイルパフュームの店だ。

 自分だって彼女を笑顔にしたい。顔見知りの男へ向ける気持ちの、ほんの1割くらいが己に向けばいいと思って。

***

 次の日。早朝のナックルジムにて。

「おはようございます、キバナ様。今日はいつもよりお早いですね」
「よお、メリア。色々やることがあってさ。今日は一番ノリだったぜ」

 リョウタたちをはじめとしたジムトレーナーたちはまだ出勤していない。今この執務室は正真正銘、キバナとメリアの2人きりだ。

 キバナは自分の席に座ってスマホロトムを操作する。プレゼントの件を訊きたかったが、昨日の今日だ。まだその時ではない。特に興味もないネットの記事を流し読み、自分を落ち着かせる。

「キバナ様、今少しよろしいですか?」
「うん?」

 スマホロトムから顔を上げればメリアが真剣な表情でデスクの前に立っていた。手には無地の紙袋と、洗練された白い紙袋が握られている。白い紙袋に見覚えがあるものの、敢えてキバナは触れないでおいた。

「借りていたパーカー、お返しします。この間は、ありがとうございました」
「あー。ユウリと試合した時の」

 ついでにメリアのすっぴんが判明した日だ。キバナはメリアから無地の方の紙袋を受け取った。

「別に洗濯までしなくて良かったんだぜ?」

 袋の中をチラッと覗けば、綺麗に畳まれたパーカーが入っている。メリアらしいな、とキバナは微笑んだ。

「いいえ。このくらいさせてください。助けていただいたわけですし」
「実際助けたのはオマエのチルタリスだろ?」
「それでも、です」

 そして、メリアはいつになく真剣な表情で「実はもう1つお礼の品がありまして」と言った。

「オレ様に?」
「はい!」

 メリアは力強くうなずいて、もうひとつの、白い紙袋を差し出した。

 やはりキバナの予想通り、紙袋はオイルパフューム専門店のものだった。キバナも昨日、ここの商品を買ったのですぐに分かった。実は今、一番下の引き出しにそれをしまっている。

(律儀だな、メリア。一緒に店を回っただけなのにお礼としてこれを買ってくれたんだろうな)

 顔見知りのついでとはいえ、嬉しいものは嬉しい。キバナは礼を言って紙袋を受け取る。

「今、開けていいか?」
「もちろんです!」

 袋の中身は、これまた白い、蓋つきの小箱だった。昨日訪れた店の店名が箔押しされている。

 キバナは逸る気持ちで蓋を開けた。

 やはりと言うべきか。そこには、キバナが欲しいと思っていたビアーのみを使ったオイルパフュームとアロマキャンドルが入っていた。

「あの後お店に行って、店員さんに相談して決めた物なんです。キバナ様のヌメルゴンが香りに慣れてくれるように、まずはアロマキャンドルで始めたらどうかと思いまして」

 確かにあの店にはオイルパフューム以外の商品が置いてあった。アロマタイプのルームパフュームやハンドクリーム、サシェといった香りに関する物が。

「サシェにしてみるのもいいみたいですよ。香りを気に入ってくれなかったら邪魔になってしまうのですが、……その、貰ってくれますか?」
「邪魔にならねえよ! あ、わりぃ。サンキューな、メリア

 思ったより大きな声が出てしまい、慌ててキバナはお礼を言った。

 浮かれている。どうしようもなく浮かれている。今ならとりポケモンのように大空を飛び回れる。

「マジでありがとう。オレさまにもプレゼントを選んでくれるなんて。もう顔見知りの男には渡せたのか?」
「違うんです!」

 今度はメリアが大きな声をあげた。

「違うって何がだ?」

 キバナは目を丸くして訊き返す。

「私、その……う、嘘をついてまして」
「嘘?」
「プレゼントをあげたい、顔見知りの男性は、その、……キバ、キバナ様だったんです!」

 キバナサマダッタンデス……!?

「――っは!? マっマジでか!?」

 一瞬呼吸を忘れていたキバナ。

「えっ。じゃあ、何だ。ん? え? ……オレさまに贈るプレゼントをオレさまと一緒に選んでたって、そういうことなのか?」
「そういうことに、なります……」
 
 ――関係性は他人ではあるんですけど、ええと……顔見知りではありまして……多分。

 ――困っていたところを、その人に助けていただいて。それで、私物を借りている状態でして。

 ――流行りものに敏感な気もします。

 ――ポケモン勝負が強い。

 ――男女問わず優しい人で、人気もあります。

(うわあれ全部オレさまのことだったのかよ。メリアから見たオレさまは、あんな感じで……)

 メリアが目の前にいなかったら、キバナはいつぞやのように床に四つん這いになって「カワイイー!」と叫んでいたことだろう。

(なんだよ! なあ、キバナよ。オレだ。オレさまのためにメリアが選んでいたんだ! 張り合おうとしていたのは全部オレさまのことだったんだ)

 にやけそうになる口元を必死に手で抑え、回転式の椅子を回転させてメリアに背を向ける。

「キバナ様?」
「悪い。ちょっと面白くて。フフフッ。そうか、オレさまとプレゼントを選んでたのか」
「だってキバナ様に種明かしをしたら、プレゼント選びを止められると思いまして……」

 メリアは頬を膨らませた。キバナは背を向けているのでその行動は見えていない。

「そりゃあな。パーカーの礼にしては大袈裟じゃないか」
「キバナ様にはこのジムに来た時からお世話になっていますから」
「まだ3ヶ月も経ってないだろ?」
「それでも、です。それに……」
「それに?」
「嬉しかったんです。あの日かけてくれた『恥じることはない、胸を張れって』言葉が」

 今のメリアの声は、キバナが気に入ってるマリチマの声によく似ていた。

 越冬した植物が、一番初めに感じるであろう、春の陽気。暖かで穏やかで。心地の良い眠りを誘うようなものだ。

「どうしても、あなたに伝えたかったんです。ありがとうって」

 キバナはゆっくりと椅子を回してメリアと向き合った。

 ぎこちなさが残るものの、彼女は笑っていた。ほんのり頬を赤くして。

 その姿が、愛しくて。たまらなく、愛しくて。
 この腕にかき抱きたいほど愛らしくて。

 胸に湧いてきた温かな感情がキバナを満たす。

「それでは、失礼します。お時間をいただき、ありがとうございました」
「ちょっと待った」

 自分の席に戻ろうとするメリアを呼び止める。キバナはデスクの引き出しから同じ店の紙袋を取り出した。

「実はそんなメリアにオレさまからもプレゼントがある」
「これ……」
「オマエ、自分の欲しいやつ買ってないんだろうなって思ってさ」

 開けてみなと促され、メリアは震える手で包装を解いた。

 昨日メリアが熱心に見ていた、ホウエン地方の火山灰で作られたというスティック付きのパフュームボトルが、そこにあった。

「受け取ってくれよ。オレさまからのプレゼント。な?」
「う、受け取れません! そんな、だって……、どうして?」
「どうしてって……そうだな」

 本当は、喜ぶ顔が見たかった。でも、それを言ってもメリアは納得しないだろう。

(部下として頑張っているから、とか。そういう感じで。下心は隠せ)

 せめてカッコつけさせてくれよ、とキバナは立ち上がる。

「オレさまからの激励賞。オマエ、頑張ってるからさ。実際、オマエが来てオレさまたちは助かってるんだ。ナックルジムの頼もしい事務として、これからもよろしくな」

 ぽんぽんとメリアの軽く頭を叩いて、キバナは部屋を出た。

(いやいやいや! ノリで頭ぽんぽんしてんじゃねえよ! メリアに引かれるだろ!)

 ドアを閉めその場に踞ったキバナは知らなかった。

「えっ……。キバ、ナ……様?」

 顔を赤らめ頭をそっと押さえたメリアの姿を。

 出勤してきたリョウタに「具合が悪いんですか!?」と心配されてしまったキバナは知らなかった。

 メリアが大事に抱きしめるパフュームボトルが、とある波乱を巻き起こすことを。

 ヘアバンドで顔を隠し「何でもない! マジで何でもない!」と誤魔化すキバナは知らなかった。

 ポケットの中でスマホロトムが『ロトロトロトロトロトロト』と着信を知らせる相手――ダンデのせいで、もうひと波乱あることを。

 今はまだ、知らなかった。

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