鈍色の空は、重苦しい冬の象徴みたいだ。雲間から微かに光が差し込み、冷たい雪の原を照らす。
うーん、詩人っぽいね。ナイスセンス。
まあまあの天気でよかった~! 猛吹雪だったら泣いてたわ。出鼻挫かれてたわ。おお神よ、この天候をなんとかしたまえ、って拝んでたわ。
念のため、出かける前に“ゲンキノツボミ”がないか商会の滞在場所に行ってみたが、とうとう在庫が尽きたらしい。仕入れもできないんだってさ。やっぱ採りにいくしかないな。
先輩たちに「どこか行くのか」と訊かれたが、シンジュ団の子たちと遊ぶのだと誤魔化した。村の外に行くには、「新人係」をつけなければいけない。
しかし、今回の外出は秘密だ。経緯やカイちゃんのこと話したら、止められるに決まっているからさ。
集合場所はエイチ湖だった。約束の時間の10分前に来たのに、すでにカイさんは到着していた。グレイシアとエーフィも一緒だ。
「準備はいいな?」
「あたぼーよ!」
今日は休暇なので商会の制服ではなく、防寒に優れた私服を引っ張り出してきた。もこもこだぞ。鏡で自分の姿を確認したら着膨れしてタマザラシのようになっていた。頭の中でイマジナリー・ウォロが嘲笑していたので、手で追い払ってやった。あいつ最近私の前だと「打破せよ」の雰囲気になるよなあ。だからイマジナリー・ウォロの顔も小憎たらしいんだよな。
「カイさんは軽装ですけど大丈夫、です?」
「もちろんだ。これがちょうどいい」
「寒そう……」
どう見ても真夏の格好だなあ……。ゲーム中で火山へ訪れた時はしきりに暑がっていたっけか。いや、これ暑がりで片付けていいものなのか? 人体の不思議ー!
あ、服装はいつもの感じだけど、荷物はしっかり背負ってきている。雪の中を無策に突っ込んでいくほど、自然を舐めてはいないってことか。
私の方も荷物はばっちり詰めてます。商会の背囊が大容量サイズだからこっちを持ってきたよ。野宿してもいいように必要な物は一式揃っている。
ボールにはトゲまることトゲピーと、グレッグルことレディーが入っている。うちのポケモンたちは戦闘面に期待ができない(トゲまるは勝負向きの技があまりないし、レディーは寒さが苦手なのか動きが鈍い)ので、カイちゃんのグレイシアとエーフィに頼るしかない。いざとなったら逃げようね。命、大事。
「行くぞ。目的は“ゲンキノツボミ”だ」
「はーい! あ、その前にちょっと待ってください」
先陣を切るカイちゃんに待ったをかけ、私は腰のベルトに引っ掛けていた小瓶を引っ張り出す。
「目印を付けましょう。いくらカイさんが〈純白の凍土〉に詳しくても万が一があるので」
「目印? それは一体何だ?」
「うちの先パイから貰った塗料です。これがあれば、迷っても大丈夫。歩きながら、雪の上に落としていきます。帰りはこれを目印にするんですよ」
以前、〈純白の凍土〉で迷子になりかけた時、ウォロから貰った赤い塗料を準備した。背囊には塗料入りの大きい瓶が入ってるよ。小瓶に小分けにして腰につけているんだ。他にもモンスターボールやトゲまるの大好きな“きらきらミツ”、きのみ入りポーチとか色んなツールを提げている。
「なるほど。いい考えだ。ならば、帰り道はあなたに任せる。商会のーーええと、名前、なんと呼べば?」
あれ。名乗っていなかったっけ。私はモブだから、名前は別に覚えなくていいのよ。
「そうっすね。うーん、……新人とお呼びしてください!」
「……新人。分かった。では、行くぞ」
「了解!」
いさ、“ゲンキノツボミ”探しに出発!
***
雪を踏み固め〈純白の凍土〉を歩いていく。目印を付けるのも忘れずに。
先陣はエーフィ。次にカイちゃん、私。最後尾にグレイシア。グレイシアは私の目印を消してしまわないように列から少し横にずれて歩いてくれた。
「カイちゃ……さんは、“ゲンキノツボミ”の在り処に目星はついています?」
「我々シンジュ団が『氷河の段丘』と呼んでいる場所がある。最後に見たのがその近くだと聞いた。あと、ここからだと遠いが、『鬼氷滝』にも目撃情報がある」
脳内に地図を思い描いてみる。これでも商人。土地のあれこれを把握しろと、先輩方に叩き込まれましたからね。
「『氷河の段丘』がここから近いんですよね。『鬼氷滝』はその正反対の場所。南側かな。最初で見つかるといいなあ」
「そうだな。風邪と戦っているあの子のためにも……!」
カイちゃんが拳を握りしめた。もうちょっとリラックスしたら……。まあ、でも、あの苦しそうな男の子を見ちゃったらな。長としてやれることをやらなくちゃって焦るよな。
ここで、ゲームの情報を思い出してみる。確か、カイちゃんは友達が少なくて、周囲の人たちからは軽くあしらわれることが、多いんだっけ? 長を継ぐ時もすんなりいかなかったんだよね? 成長するまで一旦別の人を長にするべきじゃないかって話が出た、とか。
カイちゃんは長になってからずっと気を張っている。堅い口調も威厳を見せるためだ。長としてどうやって団を引っ張っていけばいいのか分からず、とりあえず形から入っているのかもしれない。
カイちゃんさ、経験が浅いだけだから、きっとそのうち立派な団長になるよ。だから、もう少しリラックスしてもいいと思うんだよな。コンゴウ団のセキさんが絵に描いたような理想の長っぽいから、焦ってんのかもしれないね。カイちゃんにはカイちゃんのペースがあるんだよ。
「歩く速度を上げる。早く見つけなければ。無駄話をしている暇はない。休憩している暇はないからな」
「いやいやいや! カイさん、もう少しリラックスしましょ」
「リラ……?」
そっか、馴染みのない言葉なのか。
「気を緩めようぜ、みたいな」
カイさんは足を止め、こちらを振り返った。眉間にシワが寄っている。
「あの子が苦しんでいるのに、そんな場合ではない。何もできない無能にはなりたくない」
「そんなことないです!」
あー、ほら。なんかよくない感じ。集落の人に未熟とか陰で言われてるのか?
「カイさんが気を張りすぎて、倒れるようなことがあったらダメですよ。気を張るとこは張って、緩めるところは緩めなきゃ。いつも全力疾走したら疲れますよ」
人間もポケモンも24時間フルスロットルで動けないからね。
「そうかもしれないが、長のわたしは、他の者より働く必要がある」
「でも、その役職を取っ払ってみてよ。カイさんは人間だよ。疲れや緊張を感じない人間じゃないでしょ」
カイちゃんは黙ってしまった。エーフィがこっちを振り返った。あ、喧嘩じゃないよ。大丈夫だよ。
「上に立つ人は上に立つ人なりの苦労があると思う。けど、最初から何もかも完璧に上手くやれる自分を想定したら、どこかで無理が来ると思う」
そうやって心身を壊してしまった人たちが大勢いたことを、私は前世で知っている。
カイちゃんはなあ、素直で生真面目だからな。団長としての責任を果たすために人一倍悩みながら取り組んでいるんだろう。その分、何もできなかった時の反動が大きいんじゃないだろうか。
「誰だって何かを始める時は新人ですよ。私は商人として新人。カイさんだってシンジュ団の団長としては新人。最初から要領よくやれる人は――いるかもしれないけどさ……。でも最初から完璧を求めるのは、なんか違くない? と、私は思うのです」
誰だって最初はピカピカの1年生。若葉マーク付きの初心者だぞ。
「もちろん、全力を尽くして“ゲンキノツボミ”を探しましょう! あの子が待っていますから。でも、ずっと頑張り続けるのはダメですからね。休憩しつつ、探しましょう。体調が悪くなったら正直に申告する。で、いいですよね」
カイちゃんは何か言いたそうに口をもごもごしていたが、やがて大きな溜め息をついた。
「分かった。確かに、わたしたちが倒れたら元も子もない」
「うんうん、よろしくお願いしますね。カイさんが倒れたら私、何もできないので」
野生のポケモンの戦闘とか期待しないでくれ。あと、土地勘もないのでね。カイちゃんが最短ルートで目的地へ向かっているから時短できているけど、私じゃ無理だからね。
「……どうしてあなた、ついてきたの」
「人手は多い方がいいじゃん! 私と私のポケモンたちで3人分くらいのマンパワーはあります!」
やめろー! ジト目でこっち見るなー! 美少女からの蔑みはご褒美です、みたいな境地には達していないもんでしてね。
「体力はあるから、一応。それに、あの男の子を助けたい気持ちは同じですんで! そこは信じて!」
「問題ない。そこは理解しているから」
口元を少しだけほころばせたカイちゃんは「行くよ」と背を向けて歩き出した。
私は思わず胸を抑えた。おっとー。金髪美少女の微笑みは効くぜ、万病に……、ってね。これが推しだともっと効く。例えば、主人公のテルくんとショウちゃんね。
そういえば、カイちゃんって主人公たちの行動に感化されて団長としての在り方に「何か」を見出していたっけ。
私の目的は、ウォロの行動を阻止して主人公たちがこちらに来ないようにすること。
あれ? もしも目的が達成されたらカイちゃんって、ずっとシンジュ団をどう導いていいか分からず、悩み続けるパターン?
いや、それは。いずれ気付くことでしょう、うん。気付くよね。だってカイちゃんは団長としての器あるじゃん……。
う。うーん……。もしも主人公たちが来なかったら、私、カイちゃんをフォローしとこ。責任感じるもん。
「どうした。早く来て。逸れてしまう」
「あ、行きます行きます!」
今は“ゲンキンツボミ”探しに専念だぞ、私!
***
二度、野生のポケモンと戦闘になった。カイちゃんがグレイシアとエーフィで撃退してくれたので助かった。いざとなったら“めかくしだま”を出すつもりだったが、まだ必要はないみたいだ。
さて、最初の目的地「氷河の段丘」に到着した。ボールからトゲまるとレディーを出して、お手伝いをしてもらう。
「見つけたら教えてね」
「ちょっき!」
「けひゃ!」
2匹は元気よく返事をして探索を始める。寒さが苦手なレディーもやる気なんだ、私も頑張るぞー!
「こんなところに生えてるぞ、みたいな情報とかありますか?」
「あるにはあるが、あらかた採り尽くされているだろう」
「そっかー」
だよねー? うーん。ゲームではわりと簡単に見つかったんだけどね。いや、ここはゲームの世界じゃないんだから、そうポンポン採れるわけないか。
雪を踏みしめ、茂みを掻き分け、私たちは“ゲンキノツボミ”を探す。途中、休憩を挟みながら私たちはあちこちを探索した。しかし、やはり“ゲンキノツボミ”を見つけだすことは叶わなかった。
カイちゃんに焦りの色が見え始めた。気持ちは分かる。視界が遮られそうなくらいの猛吹雪の中を手探りで進んでいる感じだよね。何もかも思い通りにいかなくて、全部もういいやって投げ捨てたくなるよね。けど、弱音を吐かず、じっと堪えるカイちゃんは偉い。
私は「まだ次の所にあるかもしれないから」と宥めて、移動することにした。目指すは「鬼氷滝」。移動の最中にも“ゲンキノツボミ”が見つかるかもしれない。希望を捨ててはいけない。
「目印はちゃんと付けている?」
「もちろん。あ、待って。一旦補充します。ほとんどないので」
赤は目立つなー。血の色みたい。トゲまるが興味深そうに見つめいてる。これはおやつじゃないぞ。ミツハニー印のハチミツがあるから、こっちをお食べ。
「……なるべく早めに頼む」
カイちゃんの視線がちょっと厳しい。すみません。トゲまるにおやつあげている場合ではなかった。ダイエット継続中なのに。
先に塗料の移し替えをしなければ。
「はーい……ん?」
何かが鳴く声と怒声が耳に飛び込んできた。
私とカイさんは顔を見合わせる。
「私たち以外にも誰かいるんですかね」
「野生のポケモンと戦っているのかもしれない」
「助太刀は」
「当たり前だ、行くぞ」
誰かが襲われているのかもしれない。善は急げというやつだ。慌てて私は赤い塗料の瓶とハチミツの瓶をポケットに突っ込み、トゲまるを抱きかかえた。カイさんは既にグレイアシアたちと現場へ向かっている。私もいかなきゃ。
雪に足を取られないように走るのは難しい。トゲまるを抱えているので余計に。ボールに戻そうとしても泣きそうな顔で拒否られるので、このまま進むしかない。苦しくなる肺を無視し、生み出される白い息を横目にカイさんの背を追った。
やがて、やや開けた場所に出る。なんだか簡易のキャンプ地みたいだ。ポケモンは――何か小さいのが一箇所に集まっている? で、男の人がいる?
「カイさん!」
「シッ!」
何故かカイさんは茂みの中にしゃがんで身を隠している。私に気付くと唇に手を当てて、静かにと言われてしまった。お、お口チャックしやす、うっす……。
「な、何があったの? ポケモンに襲われているとかは」
「もっと声を落として」
カイちゃんが小声で私を制した。
「あれ。見て」
思わず息を飲む。視線の先には、虐げられているゾロアの姿があった。きゅーんきゅーんという悲痛な叫びに心が苦しくなる。身体中に緊張が走る。
「なんて酷いことを」
――今世の私が、父親から受けた仕打ちと重なる。
助けてと叫んでも、誰も助けてくれなかった。
この子に助けてくれる人は、ポケモンは、いるのか?
「てめえがしくじったせいで、こっちの商売あがったりだ! 分かってんだろうなあ、おい!」
ゾロアがボールのように蹴飛ばされ、遠くへ転がった。力なく鳴いて、ぐったりと動かなくなる。まさか死んだんじゃ、と立ち上がりかけたものの、どこからかもう2匹のゾロアがやってきて、倒れた子を介抱し始めた。よかった。1匹だけじゃなかったんだ。
「おい。またやってんのかよ」
と、向こうから籠を背負った人たちがやって来た。ゾロアを虐めていた男の仲間なんだろう。男2人、女ひとり……って、あれ、あの女の人……。
穴に落ちかけた私を助けてくれた人だ!
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