「ねえ、ギンナンさん。何でアレがゾロア? ゾロアーク? だって分かったんですか」
店じまいをしながらギンナンさんに訊ねてみる。
ギンナンさんは、幌馬車に積んだ商品の在庫を確認していたところだった。
「双子でもない限りそっくりな人間なんて、そうそういないだろう?」
「まあ、そうですね?」
「この辺りにはゾロアが生息しているとお客さんから聞いていた。あらゆる生物に化けるらしいじゃないか」
それに、とギンナンさんは続ける。
「初めに来た子ども――つまり、ゾロアかゾロアークが化けた方だが、まったく喋らなかっただろう。あれはポケモンだから、人の言葉が話せないんじゃないかと思ったんだ」
「へえ〜。でも、だからって、急に商品投げたらびっくりしますよ」
「あの時はそうするのが手っ取り早かった。実際、尻尾を出しただろう?」
「尻尾じゃなくて、耳が出てましたが……」
「言葉の綾だよ」
「分かってますってー」
あの男の子は怖がっていた。当然だ。自分そっくりの人間が現れたら、腰を抜かすだろう。
ポケモンの仕業だと判明したことで男の子は落ち着きを取り戻し、おばあさんと家に帰っていった。
“イナホだま”で簡単に耳を出したところを見るに、化けていたのはまだ幼いゾロアだったんじゃないか、というのはギンナンさんの弁だ。
「でも、よく耳だけでゾロアだと分かりましたね?」
「おまえが昔、ポケモンと遊んでいたところを見かけたことがある。特徴的な耳と尻尾が生えている人間を見たが、化けたゾロアだとひと目で分かった。まだ化けるのが上手くなかったんだろう。あれが印象的で覚えていたんだ」
「あー。なるほどなるほど」
今世の私にはポケモンの友達がいたらしい。
一番仲よくしていたのは、〈ヒスイのすがた〉のゾロアだった。
名前は、何だったかな。「ハイブリッド私」になったから、記憶がたまーにごっちゃになるんだよなー。忘れているっていうか、普段は奥底に封印されているというか。前世の私の意識が強く出ているせいなのかもしれない。
――あ、いやちょっと待って! ああ! うんうん、思い出した。さっちゃんだよ、さっちゃん。
由来は忘れたけど、私は友達になったゾロアを、さっちゃんと呼んでいたんだよね。
かけっこしたり、おままごとしたり、人間の友達がやるような遊びをすることが多かったな。今にして思えば、ポケモンなのに妙に人間くさかったような。私に合わせてくれたのかもな。それまではポケモンたちと野生的な遊びしかしてこなかったもんで。
本来私が住んでいた所にゾロアはいないはずだ。しかし、どういうわけか、さっちゃんはあそこで暮らしていたみたいだ。うちの色違いグレッグルのレディーみたいに、群れから追い出されたのだろうか。
「そういえば、友達だったゾロアは今、どうしている?」
「さっちゃんは、私と一緒に川に突き落とされたんで、そのまま行方が分かりません。……私は運がよかったんです。流木に引っ掛かってなんとか這い上がってこれたんで。さっちゃんは身体が小さかったし、川の流れで、そのまま……」
ギンナンさんは肩を落とす。
「さっちゃん? ……色々言いたいことはあるが、嫌なことを思い出させたな、悪かった」
私は首を横に振った。
「確かにあの頃は、嫌な思い出ばっかりでしたね」
意識がほぼ前世の私なので、正直、今世の私の記憶は、報告書を読んでいるような感じなのだ。第三者目線でしか記憶を持っていない。辛い、悲しい、苦しいといった感情は、風に吹かれた落ち葉のように消えていってしまった。
でも、まあ、その方がいいのかもしれない。ネガティブな記憶をいつまでも持っているより、ポジティブな記憶や気持ちを墓場まで持っていきたいからさ。
そうだ。これだけは、ギンナンさんに言っておかなければ。
「お父さんは最悪だったし、お母さんは逃げちゃったし、いじめてくる奴らがいて笑っちゃうくらい不幸の連続でしたけど」
私の半生は泥にまみれた汚らしいものだ。いや、泥というか掃き溜めという方が、近いかもしれない。
それでも、
「それでも、ギンナンさんが私を見つけてくれたじゃないですか。私の幸せはここから始まるんです。嫌な思い出を塗りつぶすくらいの幸せを、この手で掴んでやるんです!」
掃き溜めの中から見つかったものは、きっと、輝く幸せの欠片なんだと思う。
そのきっかけが、ギンナンさんだったんじゃないかな。
少なくとも、今世の私はギンナンさんが好きだし、感謝している。私をもっと広い世界に連れ出してくれたから。
前世の私もギンナンさんは好きだ。ゲームではあまり接点がなかったから、こうして話す機会があるのは嬉しいよ。
「――」
ギンナンさんは、背後から驚かされた時のような表情で私の名前を呼んだ。
「……はいはい、何でしょ」
商会内では後輩だの新人だの呼ばれているから、一瞬返事が遅れてしまった。ギンナンさんも私が商会に入ってからは新人って呼んでいたのに、一体どういう風の吹き回しなんだろうか。
「いや」
ぽす、と頭に軽い衝撃が来た。帽子ごしにギンナンさんが私の頭を撫でたらしい。
「ギンナンさん?」
ギンナンさんの口角がちょびっとだけ上がった。
何だ何だ。笑ってるのか? 無言だと調子が狂うぞ。
「元気でよかった。そのまま頑張れと言いたいところだが、自重はしてくれ」
「あ、え、はい」
おまけに軽く2、3回ぽんぽんと頭を叩かれ、ギンナンさんは片付けに戻っていった。
……え? 何なの? 何がしたかったの、ギンナンさん?
私は意味が分からず、しばらくその場に立ち尽くしていた。
ちょっと心臓がドキドキするのは、気のせいだろう。
***
そんなことがあったので、私は訊くのを忘れていた。何って、ギンナンさんがゾロアを連れた男を追わなかった理由だ。だってさ、ギンナンさんが頭撫でて意味深に笑うから、なんかこう、落ち着かなかったんだよ!
謎が判明したのは、翌日の朝会でのことだった。
「昨日、一部の者には伝えたが、全員に改めて伝達しておく。商品を転売している人間の目星がついた」
途端、先輩方の動揺が漣となって部屋中に広がっていった。皆、態度には出していなかっただけで、転売ヤーたちに相当フラストレーションが溜まっていたのだろう。「やっとか?」「絶対許さん」「本当に必要としているお客さんに買ってもらえる」なんて声が聞こえてくる。
「静かに」
まさに鶴の一声。さすがギンナンさん。商会のリーダーだ。ピタリとお喋りが止んだ。
「まず、昨日の出来事から話す。人に化けたゾロアがとある男と“ゲンキノツボミ”を買いにきた」
まずギンナンさんは、昨日起こった件について話した。
「ゾロアはポケモンだ。人の言葉は話せないはずだ。そこで昨日、イチョウ商会の何人かに質問してみた。『一切口を開かず商品を買いにきたお客さんはいなかったか』と。全員『いた』と答えてくれたよ」
ギンナンさんはとある商人の名前を呼んだ。
「お客さんの特徴を話してくれないか」
「は、はい」
私の目の前に座っていた商人が慌てて立ち上がった。
「ええと、わたしが接客したのは、小さな女の子でした。“ゲンキノツボミ”を指差すので、口が利けないんだとばかり……」
「口が利けないお客さん、ぼくも接客しましたよ」
続いて立ち上がったのは、また別の商人だ。あ、新人係になった時「頼むから外出したいって言わないでくれ。寒いから嫌なんだ!」って私の外出を阻止しようとした先輩だ。
「しかし、おかしいですね。ぼくが相手にしたのはご年配の方。“ゲンキノツボミ”を買っていかれました」
「あ、それならうちも。“ゲンキノツボミ”をお買い上げになったのは、中年の男性だった。筆談でやりとりしたから覚えてる」
「オレの時は夫婦だよ。奥さんは話せないみたいだった。“ゲンキノツボミ”を買っていたっけ」
次々と口が利けないお客さんの情報が集まってくる。しかし、全員違う人間のようだ。
「ありがとう。皆、座ってくれ。……こう言ってはなんだが、このシンジュ集落に口の利けない人間が、そう何人もいるはすがない。近隣の集落から来るお客さんを合わせたとしても、だ」
確かにそうだ。今聞いただけでも十数人はいたぞ?
ああ、でも。
「共通点がある! 口が利けないお客さんは、絶対“ゲンキノツボミ”を買っていくんだ!」
私は思わず立ち上がった。
「ギンナンさん! もしかして、ゾロアが違う人間化けて何回も買いに来てる? それで、転売しているんじゃないの?」
ざわめきが部屋に再び広がる。「そうだよな」「ありえる」「どうりで転売が止まらないはずだ」と皆、どこか納得した様子で口々に呟いている。
「落ち着いてくれ。まだそうと決まったわけじゃない」
「でも!」
「可能性は高いと思っている。が、確証はない」
多分、ゾロアを利用している人間がいるんだろう。ポケモンがわざわざ“ゲンキノツボミ”を何回も買いに来る理由はないはずだ。きっと、転売ヤーがゾロアの能力に目をつけて、転売を繰り返しているんだ。
昨日の、ゾロアを小突いたあの男が転売ヤーなんだろうか。ギンナンさんは、幼いゾロアが化けているんじゃないか、と言ってたよね。きっと自分のしていることが分かっていないんだ。
「余所の商会でも似たようなことがなかったか、情報収集をしているところだ。特にゾロアと行動していた男について探るつもりだよ。また何か分かったら随時共有する。……もしも今日、口の利けないお客さんが来たら、“ゲンキノツボミ”は在庫がないと断ってほしい」
それから諸々の伝達事項があり、朝会は終わった。
むむむ。情報収集なんてちんたらやっている場合か? やっと転売ヤー撲滅の糸口が見えてきたっていうのに! じっとしていらんないよ!
「こうなったら転売ヤーを突き止めてとっ捕まぐえっ」
「後輩さん」
猫のように首根っこを掴まれてしまった。この声は、ウォロだ。
「ウォロ先パイ〜」
「はい。おはようございます」
「挨拶してる場合じゃないっすよ。何なんですか急にー!」
「後輩さんが勝手な行動をしそうな気配を察知したので、念のために」
まさにその通りだったので何も言えない。ウォロは「ちょっと冷静になりましたね」と言って手を離した。私は首元をさすりながらウォロに向き直る。
「勝手に行動するのはよくないですよ」
「だって、転売ヤーが」
「まだゾロアと行動していた男がてんばいやーと決まったわけではないでしょう?」
「……」
「予測だけで動くのは危ないですよ」
「……」
勝手に行動して遺跡巡りしている人に諭されるの、なーんか納得いかないんですけどー?
「それに、てんばいやーが分かったところで、後輩さんにできることはないと思いますよ」
「犯人捕まえるのは、商人の仕事じゃないから?」
「ああ、覚えていたんですね。その通りです」
「だってこれ、悪いことじゃん」
「けれども、法ではまだ、転売は悪い行為だと定められていません」
この話、前にもしたな。
「後輩さんにできることはない、というのがジブンの結論です」
にっこり笑うウォロを前に、私は何も言えず、ただ立ち尽くしていた。
ウォロの言う通りだ。私にできることはない。
私は、ただの商人だ。転生したという自覚があるだけの、ただの商人だ。
だけど、さあ。
きゅっと目を瞑る。一緒に遊んだシンジュ団の子どもたちの姿が、瞼の裏に浮かぶ。
「子どもたちが心配なんです」
「何故?」
「もしも子どもが風邪をひいて薬が必要になった時、“ゲンキノツボミ”が高いせいで満足に薬が作れない、なんてとこがあったら? 本来なら確実に治療できたはずのものが転売のせいでできない、なんてことあったら?」
私は拳を握りしめてウォロに訴える。
「嫌ですよ、そんなの! こういう悪いことは、力のない人や立場の弱い人から影響が出るんです!」
今世の私が子どもの頃、幸せとは言えない経験をしているからかな。子どもたちのことに敏感になってしまう。あの子たちが苦しむところ、見たくないよ。
私はさ、幸せになってほしいんだ。私の手の届く範囲にいる人たちだけでも。
「それにですよ? 転売ヤーの奴ら、真面目に頑張っている商人をバカにしていると思いませんか!? だから、だから――!」
言葉が喉に詰まって何も言えなくなる。あー、クソ! 自分が何を言いたいのか分かんなくなってきたぞ!
「だからつまり、転売ヤーを滅することが幸せに繋がるっていうか」
「なるほど。後輩さんの熱意は分かりました」
ウォロは私の両肩にポン、と手を置いた。
「そこまで言うなら、ジブンはもう、何も言いません。止めません。後輩さんが納得する道を突き進めばいい」
「お、おお?」
あれ、また例の目になっている。氷みたいな目だ。笑っているのに目だけ笑っていない。
「後輩さんは勧善懲悪を望んでいるのですよね」
カンゼンチョーアクって何?
「てんばいやーに罪を償わせることで、弱い立場の人間を守ることに繋がる。こう、考えているのですね?」
待って。何。ひとりで納得しないでくれるー?
「しかし、転売は今のところ、法に触れることではない。後輩さんは、てんばいやーの悪事が次第に収まるのを悠長に待ってはいられない」
つまり、とウォロは人差し指を立てた。
「つまり、てんばいやーが法に触れることをすれば、捕まえる大義名分ができるのではないでしょうか」
「はふぇ?」
ナニイッテンダコイツ。
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