「……おっ」
その日は非番で、コトブキムラを散策していた私は、なんと、若いカップルがキスしている現場に遭遇してしまった。長屋のある奥まった所でキスしていたので、2人は人目につかないところで、慎ましやかにスキンシップを取っていたんだろう。
まあ。自分、たまたま見ちゃったんすけどね。すんませんね、めざとい奴で、へへ……。
おっ、誰かいるな〜、ってなんとなく目を向けたら、ちゅーしてんだもんな〜。
幸い、カップルたちは2人だけの世界に浸っていたので、私には気付いてはいないようだった。出歯亀にはなりたくないので、大人しく退散する。三十六計逃げるに如かず、ってね。
ゴーストタイプのように気配を消しつつ、私はそーっとその場を離れた。後ろ歩きでしばらく移動していると、ガヤガヤとたくさんの人の声が聞こえてくる。同時に雑貨屋や呉服屋がある通りが見えてきたので、はあぁぁ、と大きな溜め息をついた。無意識に息を止めていたっぽい。
昼間だからか、大通りには多くの人が行き来している。この分だと、うちの商会にもお客さんがたくさん来てそうだな。
「そうそう、新しい着物が欲しいんだった」
呉服屋を覗いていこうかな。方向は――あっち。通行人にぶつからないよう、目的地へ向かう。
「……いやあ、しかし。あんなところでイチャイチャしとるとは……可愛いねえ、うん」
しみじみと呟いたところで、私の脳内に、前世の思い出が蘇る。
そういや、前世には「キスの日」っていうのがあったな。
私の前世は日本人。日本では5月23日が、キスの日だとされている。日本で初めてキスシーンが登場する映画の公開日に由来してるんだとさ。
……なんで詳しいのかって? そりゃあ、前世の私がオタクだったからに決まってるだろ。オタクはな、記念日に敏感なんだ。それを創作のネタにするからな。クリスマス、バレンタインに始まり、いい夫婦の日、バニーの日、メイドの日にちなんだ推たちのイラストや小説にニヤニヤしていたんだ。
ちなみに、私の前世の推しカプは、ウォロショウやウォロテルだった。
「……仮にテルくん――いや、テルくんは、既にギンガ団にいたな。もしもヒスイに来るとしたらショウちゃんか……。ショウちゃんがここにいたら、私は推しカプのキスシーンを見れたんだろうか……」
さっきの人目に隠れてちゅーしていたカップルのように、ウォロとショウちゃんも、ちゅーしてくれんかなあ~。こっそり見物して、リアル「ウォロショウ」を堪能したいよね〜。
いや、原作改変中なんだから、ショウちゃんが来たら来たで困るんだけどな!?
「ヒスイなんて来たらもう帰れんもんなあ〜。それはそれとして推しカプのイチャイチャキスシーンは見てえよお……」
オタクの性なんよなあ〜。
「イチャイチャ……何です?」
「お”あっ!?」
心臓が飛び上がった。ついでに私もその場で飛び上がった。後ろから! 声を! かけるな!
「びっくりした! ウォロ先パイ!?」
「こんにちは」
「こんにちは、じゃないっすから!」
ゲームでは、ポケモンの背後からボールを当てる「背面取り」を教える役割だったせいなのか、ウォロは気配を消すのが上手い。背が高いのに、どうやっているんだろうか。不思議だ。
未だ治まらない心臓の鼓動に「よしよし」と脳内で声をかけつつ、私はウォロを睨んだ。
「先パイ。前に回ってきて声をかけてくださいよ! いつも驚いてんですよ!」
「これはすみません。後輩さんの驚く姿が面白いので」
「ええ……?」
ウォロは人差し指を立て、ずいっと私の方に近付く。
「これは持論ですが、人の本質というのは『驚き』に出くわした際に表れると思うんですよ」
「はあ……?」
なんか言い出したよ、このアルセウス大好きマンは。
「人は、予想外の出来事に直面した際、本能的な反応が出るものです。取り繕いや建前が追いつく前に、その人の本性――本質が露わになる。普段優しい人間が、怒り狂う。悪事をはたらくものが、泣き喚く。そういったことが、あるかもしれないでしょう?」
「はー。分かるような、分からないような……」
前世にあった、ドッキリ番組みたいなもんか? あれも予想外の出来事から、その人の本性が暴かれるようなもん……だよな?
「……背後から驚かせるだけじゃ、本性は分からなくないっすか? もっと、こう。壮大な秘密を明かしたときの反応のような?」
「そうですね。後輩さんがビクッとコイキングのように跳ねる姿が楽しめるくらいです」
「うわー」
ニコニコ笑顔で肯定しないでほしいよな、マジで。
「先パイ腹黒ー」
実際、黒幕系だもんな。
「ところで、ウォロ先パイはどうしてここに」
「ああ。客先に届け物を。足が不自由な方でして」
ウォロがリュックを軽く叩く。
「なるほどー。ついて行っていいですか」
「ダメです。村の外に出ますので」
「ええー」
一応、ウォロの興味をアルセウス以外に向けて原作の流れを変えよう、という目標を掲げている身としては、ウォロの行動を把握しておきたいんだよなあ。
「どうしてもダメですか」
「ダメです。半日以上はかかります。後輩さんの休み、なくなりますよ」
「ケチんぼー!」
ぷくーっと頬を膨らませたって、ウォロの気は変わらない。粘ってみたものの、綺麗な笑顔で断り文句をスラスラ並べ立てられてしまった。
「じゃ、門のとこまでついていきます」
「仕方ないですね」
「っしゃ!」
許可が降りたので、ウォロの隣に並んで、コトブキムラの表門へ向かう。
道行く人が、チラチラとウォロを見て――いや、見上げている。そうだよな、珍しいよな。背もデカいし、ここらでは見ない髪色だし。見ろよ、昼の太陽を浴びて、金髪が輝いてるぜ……。
ゲームだと詳細は明かされなかったが、ウォロの外見って、古代シンオウ人の特徴がハッキリ現れてるんだろうな。
「あっ。ねえ〜、ウォロさ〜ん。今度うちに来てよ〜」
なーんて考えていたら、ウォロが色っぽいその手のお姉ちゃんにお誘いされていた。うお、胸が! あれはメロンだ。メロンが実ってら! 私が見惚れている横で、ウォロはといえば、「では、うちの商品も買ってください。あなたに似合う品がありますよ!」とかなんとか、言って、上手く交わしていた。そんなやりとりが3連続あったものだから、私は気付いてしまったのだ。
モテるんだ、アルセウス限界オタクって、と。
「モテるんですね、ウォロ先パイ」
「たまに男性にも声をかけられますよ」
「なぬっ」
なんだと、薔薇も咲くってのか!?
「男性は商品の相談ですよ。うちは、まあ、色々仕入れていますから」
「ちぇっ。なーんだ……」
「何故、残念そうなんですか」
それは「前世の私」が百合も薔薇も愛でるオタクだったからだよ。「ハイブリッド私」になったって、そこら辺は変わらんからね。
――あ。そういえば……。あの色っぽいお姉ちゃんたちのあしらい方からして、もしかしてウォロって……。
「ウォロ先パイって、女性経験あるんですか? なんか、あの雰囲気だとちゅー……あれ、ここだと何、口吸いのひとつや2つ――ってあれ、ウォロ先パイー?」
ウォロが私の5歩後ろで立ち止まっていた。慌てて駆け寄ってみれば、見えている方の目がまん丸に見開かれていた。おお、分かりやすい動揺だなあ。いつもの笑みが消えてますぜ。
「おお。ウォロ先パイの言った通り、ですね。人の本質は驚いた時に、云々」
「……後輩さんに1本取られましたね」
おっ。やっと喋った。急にウォロが立ち止まるもんだから、人の流れがつかえちゃってんだよな。「先パイ、邪魔になっちゃいます」と促し、ウォロを脇の方へ誘導した。
私はウォロと向かい合い、大丈夫ですか、と訊ねた。
「ええ、大丈夫ですよ。しかし、驚きました。先程の話から、ジブンの本性を暴こうとするとは」
「いや、そんなつもりはまったく。純粋に先パイが女性経験あるのか、知りたいだけです」
「はあ……」
いや、だってさ。気になるじゃん。推しカプのひとつ「ウォロショウ」を前世でいっぱい浴びてきた身としては。
ウォロよ、あんたは「攻め」なんだ。攻めに経験があるか否かで、色々話は変わってくるんだぞ。「受け」で卒業すんのかなー、とか、培ってきた経験で受けをメロメロにすんのかなー、とか! 薄い本が厚くなるあれこれをな!
「ま、あの様子だと? さすがに口吸い経験くらいはしてると見ました! 実際どーなんすかー? ウォロ先パイって大きいから、するとなると結構屈まないとでは?」
「……」
無言で眉間をひたすら揉むウォロ。何だよー。なんか言えよー。
「……だ」
「えっ。なんすか」
なんか喋ってますな。往来の声で聞こえんのよ。
「ウォロ先パー」
イ、と言い終わらぬうちに、ウォロが突然、ぐいっと私の腕を引いた。
身体どころか、お互いの顔面の距離がぐんと近くなり、前髪の向こう、ウォロの左目が少しだけ露わになった。ウォロの目って切れ長だよな、なんてぼんやり思う。
「口吸いをするなら、このくらい近付きますが?」
勝ち誇った笑みを浮かべるウォロ。
「ハイブリッド私」は、顔がいいなあ、かおが! と叫ぶ。ちょっと静かにしろ!! えっと、これ、何、この状況?
鼻の頭と頭がくっつきそうだし、微かに吐息がかかるし。……これ、後ろから誰かに押されたら、――ちゅー、しちゃう!
いや、でもちょっと待てよ。
「か」
「か?」
ウォロが不思議そうな表情になる。
「か、解釈違いだー!」
「かいしゃく、ちが……っとと」
油断していたのか、ウォロの手を簡単に振りほどくことができた。
「解釈違いですよ! 口吸いの相手は私じゃねぇー!」
推しカプの! 受けだろーがー!
ここでは! ショウちゃんだろーがー!
原作改変したらショウちゃん来ないけど! 来ないなら、推しカプ成立しないけど! それでもやっぱり、相手は私じゃない!!
「ウォロ先パイ! ウォロ先パイがファーストキスを奪うべき相手は、他にいます! いや、恐らくここにはいないはずなんですけども! とりあえず、私ではないです!」
「ふぁーすと、……なんですか?」
「ファーストキス! さあ、ご覧なさい、あの沈みゆく夕陽を!」
「太陽は真上です。まだ昼ですよ」
「あの夕陽に向かって、走るんや!」
「後輩さん?」
うおおお! 三十六計逃げるに如かず、再び! 【テレポート】を使うケーシィの如く逃げるんだ!
「後輩さーん!」
私は返事もせず、風のように走り出した。来た道を引き返すように。すれ違った人たちの「なんだ!?」「危ないな」という声が聞こえたが、止まるわけにはいかない。
ううん。ウォロの正体を知る「前世の私」と、ウォロの顔が好みな「今世の私」の意識が混ざり合ったのが、「ハイブリッド私」なわけだけど。どうにも好みの顔に弱い部分は残っているらしい。
「くっそー!」
早く水でもぶっかけて、このほっぺの熱をなんとかしなければ! ちゅーだのキスだの言うのはいいのに、いざ自分勝手直面するとこうなるとは……! 予想外だった! これが私の本性? いやいや、んなわけあるかあー!
ウォロのあの顔面に慣れる必要があるな! あの至近距離に動じない忍耐力をつけねば!
夕陽――いや、真昼の太陽を目指し、私はコトブキムラを駆け回った。
後日。
「……何を描いてるんですか」
「ウォロ先パイの似顔絵です。これを部屋に貼ってウォロ先パイの顔面に慣れようと思って。あっ、動かないでください!」
「仕事しろ」
「げっ、ギンナンさん」
似顔絵の量産は叶わず、辛うじて出来上がった1枚のウォロの絵を毎日眺めることで耐性をつけようとするのだった。
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