幕間2:新人の昔話

 イチョウ商会の新人は、ちょっとアレである。

 アレというのは、馬鹿ではないのだが思慮が足りないというか、猪突猛進というか、破天荒というか、恐ろしい生き物ポケモンに対してやけに友好的というか。

 普通ではない、というのが正しいのかもしれない。

 彼女がやらかしたことはそれなりにあるが、記憶に新しいのは〈紅蓮の湿地帯〉遭難未遂事件だろうか。

 教育係のウォロと外出したところ、群れのボスと思しきドクロッグに追いかけられて川に落ち、ギンガ団・コンゴウ団・シンジュ団からなる特別捜索隊が編成されるという大事件に発展しかけていた。

 それ以外にも、彼女はなんというか――奇行が目立った。特にウォロに対してだ。

 商会へ就職した当初はウォロを逢引デートに誘ったり、つきまとったり、手品を見せたり、ポケモンの鳴き真似をしてみたり。とにかく普通ではなかった。

 誰かが商会のリーダー、ギンナンへ「医者に診せた方がいいのではないか」と進言したが「あの子は元からああだ」と遠い目をして答えたため、皆、新人はそういう人間であることを理解し始めたのだった。

 最近では、「仕事は真面目だからな。行動はアレだが」「そうだな。分からないことは質問して、忘れないように帳面に書いていたよな。熱心ではあるよな、行動はアレだが」「愛想もいいよな。行動はアレだが」「お客さんとの会話から流れるように商品を勧めていたよな。行動はアレだが」という声が商会内から聞こえてくる。

 行動はアレだが仕事は熱心。
 商会内での彼女の共通認識だが、ここにひとり、「それはちょっと違うのではないか」と疑問に思う人間がいた。

 ウォロ。新人と遭難しかけた彼である。

「――そもそも、あの新人はギンナンさんの紹介で入ってきた子でしたよね。どういう経緯で彼女と知り合ったのですか」
「うん?」

 明日は非番だから、と囲炉裏に当たりながら酒を飲んでいたギンナンは、いつの間にか隣に座っていたウォロへ視線をやった。

「ああ、ウォロか。新人……、ああ。うん。あの子のことが知りたいのか」

 部屋が暖かいからか、それとも酒のせいなのか、いつもよりギンナンの顔は赤かった。

「ええ、そうですよ。どうして後輩さんはジブンにばかり構うのでしょうか」
「さあ。気に入られたんだろう? 遭難しかけた仲だから、余計に」
「遭難前からですよ、彼女のあの態度は」

 ウォロは肩をすくめた。

「正直、ジブンは誰かを特別扱いすることなく、分け隔てなく接していると思うのですが」
「ああ、だから新人に気に入られる要素がない? ――案外、容姿に惹かれたのかもしれないよ。あの子は見目のいい人間を好む」

 一瞬、ウォロは身体を強張らせた。微かに唇が歪んだが、幸いというべきか、ギンナンがウォロの変化に気付くことはなかった。

「差し支えなければ、彼女について教えてください」

 ウォロの人懐っこい笑みがギンナンへ向けられる。しばらくギンナンは目を瞬くと、

「まあ、あの子はよくウォロに懐いているから、少し話してもいいかもしれないな」

 とっくりに残った酒を飲み干し、窓の外へ視線を向けた。

 どっぷりと重くなるような夜の闇に、さらさらと粉雪が舞っていた。

 囲炉裏にくべた薪が、ぱちぱちという音を立てた。

「……あの子について話すことはそう多くない。おれは、あの子の父親の知り合いなんだ」

 新人の父親は行商人をしていたそうだが、とある事故で足を悪くしてからは店を構えて商いをしていたそうだ。

 その時面倒を見てくれた娘と結婚し、子どもが生まれた。そこまでは、ごく普通の、ありふれた家族の話だ。

「だが、店が上手くいかなくてね。そのうち金もないのに飲んだくれて、妻子に暴力を振るうようになった」

 ギンナンは、手の中のとっくりを弄ぶ。

「母親は出て行った。子どもを置いて。父親は酒ばかり飲んで暴言を吐く。いつその拳がこっちに向けられるか、分からない」

 そもそも、父親はその集落の生まれではなく、余所者から来た者だった。酒を飲んで暴れる彼は、その土地に長く住んでいる住人たちから疎んじられていた。余所者の子もまた余所者……。手を差し伸べようとする人間が、その集落にはいなかったのだ。

「そういった大人たちの態度を、子どもは敏感に感じ取る。あの子と遊ぼうとする子もいなかった。むしろ、いじめられていたらしい」

 家にいれば酒に酔った父親が。外に出ればいじめっ子が。

 村を出てひとりで生きていくことなど、まだ幼かった彼女には到底無理な話だった。

「だから、あの子は――ポケモンと遊ぶようになった。ポケモンだけが、あの子の心の拠り所だった」

 ポケモンは恐ろしい生き物だ。
 火や水、電気といった、不思議な技を使う生き物だ。
 時には人に牙を剥き、住み慣れた土地を奪う生き物だ。

「ポケモンに襲われて大怪我をした仲間を知っている。あの子は運がよかったんだ」
「……なるほど。後輩さんがあんなにもポケモンに友好的なのは、そういった経緯いきさつがあったんですね」

 ギンナンは首をゆっくり縦に振った。

「あの子は言ってたよ。『言葉は分からないけど、私をいじめないからポケモンの方が好きだ』と」

 心の安寧を手に入れた彼女だったが、しかし、ある日決定的な事件が起きる。

「川にね。突き落とされたんだ」
「川に?」

 ――私、泳げない!

 ウォロの脳裏に〈紅蓮の湿地帯〉での出来事が思い浮かぶ。

「いじめっ子たちの言い分では、あの子が勝手に飛び込んだことになっていた。しかし、彼女は泳げない。飛び込むわけがない」

 ちょうどこの日、ギンナンは村に訪れていた。知り合い(つまり彼女の父親のことだ)を気にかけており、暇を見ては様子を確認していたのだ。

「本当はすぐにでも、彼女を引き取ってやりたかった。だが、おれ自身は赤の他人だ。しかも、行商人だ。ひとつの土地に長く留まることはしない。滞在時間より移動時間の方が長い。彼女がそれに耐えられるのか、分からなかった」

 父親の方は子に執着しており、何度かその話を持ち出すこと激高するので、行動に移せずにいた。

 しかし、この一件でギンナンは決意した。彼女をこの土地から連れ出すことを。

「あの子があの村に居続けるのは危険だと判断した。心の支えはポケモンだけ。そのポケモンも、いつ命を脅かす存在になるか分からない。おれは問答無用であの子を連れ出した」

 彼女は拒まなかった。むしろ、ここではないどこかへ、逃げ出したかったらしい。

 薄々、気付いていたのだろう。彼女の父親はもう、元には戻らないのだと。失ったものばかり数えて、今ある幸せが見えなくなって、未来へ向かう足を止めてしまったのだと。

「新人さんの父親は、その後?」
「知らない。彼にしてみたら、子どもを連れ去った憎い男だろう、おれは。だから、もう」

 ギンナンは療養目的で、信用できる彼の知り合いに彼女を預けた。その年頃の娘にしては瘦せ過ぎていたからだ。体力の回復を待ち、暇を見ては読み書きと計算を覚えさせた。

「成人したあの子に訊ねた。何かやりたいことはないか、と。成人したからには働かなければならない。自身の足で生きていかなければならない。そうしたら、『商人になりたい』と返ってきた」

 ギンナンや父親と同じ、商人の道を歩みたい。

「自分の店を将来持ちたい、と言っていた。反対する理由もない。とりあえず、イチョウ商会に就職してもらい――」
「そして現在に至る、と」

 意外、ではあった。ふざけているようにしか見えないあの新人が、実はそんな理不尽な目に遭っていたなんて、ウォロは思いもしなかったのだ。

 ギンナンは、ひと仕事やり遂げたような顔をして、とっくりに酒を注ぎ始める。

「飲むか?」

 ウォロは首を横に振った。

「いえ、ジブンは」

 そうか、と少し残念そうにギンナンは笑った。

「あの子は少し前まで、あんなに活発ではなかったんだ。どちらかといえば、部屋の隅でじっとしているような性格だったんだが……。商人になるために心機一転、明るく振る舞うようになったのかもしれない」
「だからと言って、ポケモンの鳴き真似をしますか?」
「前から変わった行動を取っていたから、あれはあの子の素だ。前は鳴き真似ではなく、四つん這いになってポニータやコリンクの真似をしていたんだ」
「……」

 それが本当なら、ポケモンの鳴き真似が可愛く思えてくる。いくらかマシになったということだろう。ポケモンと遊んでいた名残なのかもしれない。

「それとも……、ウォロ。おまえと出会ってああなったのかもしれない」
「ジブン、ですか」
「あの子が楽しそうにしているから、もしかしたら……」

 ウォロは眉を八の字にして笑った。

「いえ、まさか。本当に、ジブンは何もしていません。ただ、彼女と出会って、行動を共にしただけですよ」
「おれがこんなことを頼むのはおかしな話だが、どうかあの子の話し相手になってくれ。今、一番あの子に近いのは、恐らくウォロだ」

 商会をまとめるリーダーとしてか。それとも、もっと別の何かなのか。

 ウォロには知る由もないのだった。

***

 それからギンナンと軽く世間話をしたウォロは、もう寝るからとその場を辞した。

 雪原の夜を闇が支配している。ゴーストタイプのポケモンたちが活発になる時間だ。

 足跡が消え去った雪道を行く。

 寒風が全身に吹きつける。雪はまだ止まない。

「……アルセウス」

 彼は呟く。まるで恋人の名を呼ぶように。宝物を大事に囲うように。尊い存在へ祈りを捧げるように。

 ウォロには理解できなかった。

 どうして、ワタクシと出会うことであの新人がワタクシのどこが気に入ってつるもうとしているのか。

(彼女もアルセウスの存在を知っているのだろうか? アルセウスについての情報を欲している?)

 もしそうならば、アルセウスと相見えるのはワタクシだけでなければいけない。

 あれは邪魔者だ。

 だが。彼女は……、彼女はあまりにも無知だった。共に遺跡へ向かったこともあったが、彼女の口からアルセウスのアの字も出てこなかった。

 遺跡とか神話とか興味あります、と言うわりには知識もなく、好奇心の欠片も感じない。ウォロは早々に、彼女に見切りをつけた。

 杞憂だったのだ。

 ただの人間ならば、まあ、他の人間と同じように適切な距離を保って接していればいい。

 朗らかな商人。職場の先輩。

 仮面を被るのは得意だった。

 後輩である彼女を特別扱いしたことはない。多少、アルセウスのことを知っているのか探りはしたが、もう、彼女自身に興味はない。適当にあしらっていれば、そのうち離れていくだろうと思っていたが……。あの後輩は、相も変わらずウォロにつきまとう。

 彼女について何か知れないかとギンナンの下を訪ねてみたが、まさかの答えが返ってきた。

 ――ウォロ。おまえと出会ってああなったのかもしれない。
 ――あの子が楽しそうにしているから、もしかしたら……。

 あまり考えたくはなかったが。

(ワタクシに気がある、とか?)

 ギンナンの言葉を思い出し、すぐさまかぶりを振った。

(まさか。馬鹿馬鹿しい)

 鼻で笑い飛ばしてしまいたくなる。

 だが、何かと理由をつけてウォロの傍にいようとする彼女を見ていると、あながち間違いではないのかもしれないと、そう、考えてしまうのだ。

 仮に彼女が想いを寄せているとして、だ。

 世界を作り変えるという、自身の計画に変更はない。
 
 プレートと、アルセウスに反旗を翻したあのポケモン。

 アルセウスに近付く準備は整ったというのに、どうして、未だに実行に移せないでいるのだろうか。

 あの後輩の存在があるから、だろうか。

 どうしてか、目が離せない。
 鬱陶しいはずなのに。

 最近は仕事でつきまとわれることも減ったのに、自分から彼女へ声をかけている。

 何かを期待しているのだろうか。
 いや、違う。違うはずだ。

(知らなければよかった。あの少女の生い立ちなんて)

 ギンナンが話し始めた時、退出すればよかったのだ。

 だが、ウォロは少女の過去を聞いた。
 好奇心に負けた。
 質が悪いことに、同情にも似た何かが心の隅に生まれてしまった。

 彼女理不尽な目に遭っていた。
 自身ではどうにもできない環境に置かれていた。

 考えたことはないのか。
 どうして自分ばかり、と。

 誰かと違うだけで。
 普通じゃないだけで。

 除け者にされてしまう、この世界の在り方を。

「後輩さん。アナタは、一体、ワタクシに何をしたのですか」

 雪道を立ち止まり、空を見上げる。
 月はなく、弱々しい星の光があるだけだ。

 雪の粒が大きくなり、風が強くなる。

 ウォロの問いに答える者はいない。

 ただ、ひとり。

 協力者とも言えるあのポケモンの鳴き声が、遠く。

 稲妻のように、一瞬だけ、走った。

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