彼女は理想の王子様②

 デカヌチャンの【デカハンマー】の衝撃ってこのくらい大きいものなのかな。

 グレープアカデミーに、あの王子様がいた。
 放課後、図書館へ行こうとしたら、あの王子様が笑顔を浮かべて、女子生徒たちとお話をしていたのだ!

 王子様はとにかく顔がいい。名前と声を忘れても、その姿だけははっきりと覚えている。

 スラリとした体躯、サラサラな緑髪、そして優しげな眼差し。

 ああっ、世界一カッコいい!

 巷ではガラルのジムリーダー、キバナの容姿が「顔面600族」だと話題になるが、この緑髪の王子様だって負けてない。

 いや、本当に奇跡だと思う。まさか、パルデア地方にいるなんて……。親の都合でジョウト地方からパルデア地方に引っ越した時は、軽く絶望したからね。

「王子様……」

 ハンカチは寮の部屋のチェストに大事にしまってある。取りに戻るのは、あの王子様に話しかけてからにしよう。

 ようやく長い間借りていたものが返せる。そう自覚した途端、鼓動が急速に早まった。そうだよね。夢にまでみた再会だもの。

 私はゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込み、一歩、また一歩、と王子様へ近付いていく。すごい、ポケモンの捕獲でもここまで慎重になったことない。

 王子様は女子生徒のひとり――あれってネモちゃんだ――に「相変わらず勝負好きやなあ」なんて笑っている。

 あの雰囲気に割って入るのは気が引ける。けど、ここで逃したらもう二度と会えないかも! 私は意を決して、王子様へ声をかけた。

「あっ、あの!」

 王子様はちらりと私を見た。瞬間、私の心臓はひと際大きな高鳴りを見せた。あっ、すごい。王子様がこっち見てる!
 うっかり陸に着地したコイキングのように、私は何度も口を開閉させた。

「あの、そこの……緑の……髪の……」
「ん?」

 王子様は自分の顔を指差した。私はコクコクと小さくうなずく。

「なんや、チリちゃんに用事? こんな可愛らしい子の知り合いなんていたかな」
「あ゛」

 私は汚い悲鳴を上げた。王子様って案外声が高いんだ。でも素敵。顔がいい人って声もいいんだ。知らなかった。

 王子様はネモちゃんと、もうひとり、知らない女の子に断りを入れて、ずいっと私に近付いた。

「どうしたん?」
「わわわっ!」

 王子様が眉をひそめた。
 あっ、今の私、不審者になってる。

「おお、覚えてっ、……ハンカチを」
「ハンカチ?」
「はいっ。迷子の、私を、昔に……」
「ごめん。ちょっと分からへんわ。いつくらいの話?」
「えっと、じゅ、10年以上は……」
「んー」

 王子様は首を傾げ、遠くを見るような目つきになった。

「ほんまにごめん、覚えてへんわ。そのくらい昔にきみと会ったってことやんな?」
「はい」

 そうだ、ハンカチ。ハンカチを見せたら、王子様は私を思い出すかもしれない。もともと、あのハンカチは王子様のものなんだから。

「あの、王子様からのハンカチを預かっているんです。ちょっと待っていてもらえませんか」
「あ、廊下は走ったらあかん――」

 王子様が呼び止めた瞬間、私は床の何かに躓いた。

「わあっ」

 前のめりになった身体が投げ出される。が、すぐに腕を力強く引かれ、私の背中は柔らかい何かに受け止められた。

「……っと危な……。慌てて走ったらあかんで。ほら、こんなことになったやろ」
「あ、ああああっ」

 見上げた先には、逆さまに映った王子様の顔。かつてないほどの接近。私の心拍数は急上昇。王子様の腕の中で、私、私、わたし――。

「もうだめえ……」

 あの思い出の王子様を前にして、積もりに積もった私の憧れと好意は限界突破した。

 煙突から勢いよく出た煙のように。
 突沸を起こしたお湯のように。

 くらり、と目が回って、視界は暗転。

「も、もしもーし! こらあかんわ保健室!」

 王子様の焦った顔を最後に、目の前が真っ暗になった。


***


 次の日。
 私は、ネモちゃんがいる1-Aの教室に来ていた。おお、下級生は元気だなー。休み時間は騒がしいね。

「ねえ、あの人の名前、教えて!!」
「あ、先輩だ」

 ネモちゃんの隣には、昨日王子様と話していた女子生徒もいた。アオイちゃんと言うらしい。ネモちゃんが紹介してくれた。

「一生のお願い! 私を受け止めてくれた緑髪の男の人の名前を教えて!」
「えーと」

 ネモちゃんとアオイちゃんは何度もまばたきを繰り返す。

「年齢は職業は身長は体重は? お住まいはどこなんですか? どんなポケモンがお好きなの!?」
「あー、あの人は」
「わー、待って待って待って!! 落ち着いてください!」

 前のめりになる私を抑えるように、アオイちゃんが両手を突き出した。お陰でネモちゃんの声が聞こえなくなっちゃったよ。

「何があったんですか。教えるのは全然いいですけど、その、さんの勢いが怖いです……」
「そ、そう?」
「いつもこんな感じだよ、先輩」

 ネモちゃんがあっけらかんと笑った。

「でも、動機は知りたいです。先輩、どうしたんですか?」
「実は――」

 私は王子様との出会いを話した。それはもう、情熱的に、ロマンチックに!

「――というわけで、これがハンカチです」
「おお」

 ネモちゃんとアオイちゃんの声がハモる。

「よかった、妄想じゃなかった」

 なんだい、アオイちゃん。聞き捨てならない台詞だなあ。

「そっか。確かにそれは、名前を知りたいですよね」

 でも、とアオイちゃんは続ける。

「先輩、ひとつ勘違いしているんです」
「何を?」
「王子様は、王子様じゃないんですよ」
「……えっ」

 私は大きく目を見開く。それは一体どういう意味?

「性格に難があるとか? 大丈夫、なんでもいける」
「いや、そうじゃなくて……」
「もう、アオイってば、勿体ぶらなくてもいいじゃん! チリさんって女性だから、王子どころか男の人じゃないって話」
「えっ」
「あ、ネモ! 長年の憧れの人なんだから、そういうのは慎重に――」

 なん、だと……。

 教室の喧騒が遠くに聞こえる。

 あの王子様が、女性。
 女性、チリさん、女性、チリさん、女性、チリさん――。









「いけるなあ……」
「えっ?」
「どこに?」

 2人分の反応をよそに、私はどうやったらチリさんにハンカチを――ついでに付き合えるのか考えるのだった。


【終】