彼女は理想の王子様①

 あれは、私がまだジョウト地方に住んでいた時のことだ。
 5歳になったばかりの私は、家族でエンジュシティへ旅行に来ていた。

 見たことのない古い建物、色鮮やかな紅葉、綺麗な舞子さん。そして、舞子さんたちが連れている珍しいポケモン。
 それらに気を取られていたせいだろう。私は家族とはぐれ、迷子になってしまった。
 
「おかあさん、おとうさん、どこ?」

 返事をするのは風に揺れる紅葉の音だけ。空は一面オレンジ色になっていて、夜が近いことを教えてくれる。

 あの頃の私にはまだ自分のポケモンがいなかった。

 おかあさんたちの言うことを聞かなくてごめんなさい。
 迷子になったのは、きっと自分がいい子じゃなかったからだ。日頃の行いの罰が、当たったんだ。

 鼻の奥がツンとなって目に涙が溜まる。

 知らない土地で独りぼっちで生きるしかないのかなあ……。

「う、ううううう。ぐす、ぐすぐすっ……」

 紅葉が散る道の端っこにうずくまっていると、

「どうしたん?」

 頭の上から知らない人の声が降ってきた。
 
「迷子?」

 顔を上げれば、そこには綺麗な男の人がいた。
 
「わ……」

 絵本に出てくる王子様みたい。

「カッコいい」

 心の声が思わず漏れた。王子様は垂れた目尻を更に下げて「なはは。カッコええか」と笑う。

「お父さんかお母さん、おる?」
「わか、わかんないっ。きづ、いたら、ひとり、でぇ……」
「そうかそうか。寂しかったな」

 王子様はしゃがみ込んで、私の頭を撫でてくれた。
 なんだか、とっても安心する。優しくて、温かい。

 王子様はポケットからハンカチを取り出して私の涙を拭った。王子様の髪色と同じ、緑色のハンカチだ。とてもいい匂いがした。

「とりあえず、ここは危ないから移動しよか。ここはスズの塔が近いんや。自分のポケモンいないと厳しいで」

 そう言って、王子様は手を差し出した。

「ほな行こか」
「うん」

 王子様は私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれた。足元では、道に落ちた紅葉が、カサカサと音を立てる。王子様の緑色の髪が、紅葉の赤と映えて綺麗だった。

 私は王子様と色々なことを話した。
 自分の家族のこと、好きなポケモンのこと、将来の夢のこと。

 今にして思えば、王子様にとって私の話は、とても退屈だっただろう。脈絡もなくて取り留めもない話を、王子様は笑顔で聞いてくれた。

「……ってことがあってな。こっちまで泥だらけや。ヤドンの鈍さ、ほんま舐めとったわ」
「ふふふ」

 王子様の軽快な相槌と、絶妙な間。くすりと笑ってしまう面白い言葉の数々は、迷子だった私の心細さを打ち消した。気付けば私は、すっかり王子様の虜になっていた。


「ほんまよかったなあ。きみの両親見つかって」

 エンジュシティのジム前で、私は両親と再会した。両親は何度も何度も王子様に頭を下げてお礼を述べていた。

「ほら、あんたも」

 お母さんに促され、私も頭を下げた。

「ありがと。おうじさま」
「王子様? 何言ってるの、この人は――」
「ああ、ええんです。よう間違えられるんで」

 王子様は気にしてないと言ってその場を離れようとする。

「あっ。まって! ハンカチ」

 どうしよう。会えなくなっちゃう。
 すると、王子様はふわり、と笑って私の前に跪いた。

「そのハンカチ、あげるわ。取っとき」
「えう、でも……」
「じゃあ……。また会った時に返してくれたらええわ。それまで貸しといたる。――との約束やで」
「う、うんっ! 約束っ!」

 王子様と指切りをして、私は緑のハンカチを握りしめた。

 それからほどなく、私は家の都合で他の地方へ引っ越すことになり、王子様とは会えなくなってしまった。

 今もエンジュシティにいるのかな?
 そもそも、連絡先も聞いてない。

 もう、一生、このハンカチは返せないんだろうな。

 記憶も朧気な、昔も昔のお話。


 そういえば、王子様の名前、なんだっけ――。