不死鳥のごとく、燃え上がれ⑰
には、グリに「好きだ」と伝えた理由がある。
ひとつは、彼の優しさに救われたから。彼に与えられたものを、も彼に与えたいから。
そして、もうひとつ。
失ってからでは、遅いのだと知っているから。
自分の気持ちを伝えたい時に、その人はもう、いないかもしれない。
自分の手の届かないところにいるかもしれない。
だからは、グリに「好き」だと告げた。
後悔しないように。
***
「……」
ワイルドエリアになってしまった〈ドールビアン墓地〉の前で、は祈りを捧げていた。彼女の実力では野生のポケモンに太刀打ちできないため、ホログラムで囲まれた安全地帯から祈るしかないのだ。
(お母さん。今はここからで……ごめんね)
は、母のことを何も知らなかった。
父子家庭で育ったのだから、それが当たり前だった。
「お前にはお母さんがいる。舞台歌手なんだ」
1年前の誕生日、父は視線を彷徨わせながら、そう告げた。
どうやら母は夢のために、たちと離れて暮らす道を選んだらしい。手紙ひとつを残し、母はミアレシティへ旅立った。
「……に告げる勇気がなかった。いや、お父さんもな……お母さんを許してやることができなかったんだ……。だから、彼女から来た手紙を、に読ませてやれなかった」
母は、舞台歌手として忙しくしていたものの、頻繁に手紙を寄越していたらしい。父はそれを、随分長い間しまい込んでいた。
何百通もの手紙を受け取った時、はそれが酷く重く感じられた。色褪せた紙や薄れたインクは、そこに込められた時間の長さを物語っていた。
綴られていたのは、父とへの懺悔と、体調を気遣う文章。そして、祈りだった。
(愛してる、か……)
小綺麗な筆跡を目で追って、は、ひとり、自室で考えた。
我が家に母がいないのは、当たり前だと思っていた。急に生えてきた“母”という存在に、は困惑の気持ちを隠しきれなかった。彼女のことを、よく知らなかったから。
母の名前をネットで調べたところ、それなりに有名だったらしく、は更に困惑の色を強めた。
写真に写る母は、夜に咲く月光花のように儚く美しかった。
(目なんて私にそっくり! お父さん、なんで結婚できたんだろう……)
娘の目から見ても、父は地味だった。生真面目で神経質なところもあるが……それでも、を気遣ってくれる、働き者の優しい父だ。
同時に、腑に落ちることもあった。
(じゃあ、私のこれ……歌うのが好きなのって、お母さん譲りだったってこと?)
母の歌声は、大輪の薔薇のようだった。儚い見た目とは裏腹に力強く、全てを魅了する。
はクラシック音楽やオペラを聴くようになった。家で埃を被っていたレコードも引っ張り出して。
(会いたい)
の胸に、それだけが強く残った。
どうして、母は歌い続けたのだろう。
何が、そこまで心を惹きつけたのだろう。
家族と離れてまで見たかった景色は、どんなものだったのか。
――その理由を、は知りたくなった。
(その景色の先で、何を見たんだろう。私にもなれるかな……。お母さんが見たものを知りたい)
真面目な父は、に堅実な夢を見せようとした。けれど、一度自覚したら、止められなかった。
「……そうだよな。にも、お母さんの血が入ってるのだから」
説得の末、父が折れてくれた。はミアレシティへ引っ越し、舞台歌手になるための勉強が始まった。
目まぐるしく過ぎる日々の中、は母に会おうと試みた。
躊躇いはあった。でも、会いたい気持ちの方が強かった。
連絡手段は、手紙。電話番号とメールアドレスも書いて、母宛に「会いたい」と手紙を送った。
……返事はすぐに来た。
スマホロトムが告げたのは、母が入院する病院の名前だった。
は父を呼び出し、2人で母と面会した。
月光花のような美しさはなりを潜めている。風に吹かれて今にも消えてしまいそうな、ロウソクの火のようだ。
枯れ枝のようになった母の腕を取り、は「会いたかった」と告げた。
母は涙を流していた。「自分で置いていったのに、ごめんね……会いたかった……会いたかった……」と力なく何度も繰り返した。
は、正直に打ち明けた。
母の存在を初めて知ったこと。
母に憧れて舞台歌手になる夢ができたことを。
「お母さんのこと、実感がないの。愛してるのか分からない。けれど、……産んでくれて、ありがとう。それだけは、言えるんだ……」
父は今まで手紙に返事をしなかったことを詫びた。母は「私が悪かった」とずっと泣いている。
(2人っきりにしてあげよう)
は音を立てずに病室を出た。
の想像以上に、父と母には募らせてきたものがあるはずだ。
(どうか、お母さんに……安らぎがありますように)
初めて人のために歌った。
祈るように、心の中で。
(これが、私なりの愛だよ)
は静かに、涙を流した。
母はそれから間もなく亡くなった。
月はないが、星がとても綺麗な夜だった。
父は、母に伝えきれたのだろうか。
母も、父に残せたのだろうか。
せめて自分は、自分の心に素直でいよう。
伝えたい時に、想う相手がいなくなってしまわないように。
(後悔はしたくないから)