『今日もお仕事お疲れ様』
『あ、スクール帰りなの? それともポケモン勝負? もしかして、お家でお休み中だったのかな?』
『今日も1日頑張ったあなたに、癒やしの音をお届けです』
ナックルシティのジムリーダーであるキバナには、最近お気に入りの動画配信者がいる。
それは、「マリチマ」の名前で活動しているポケチューバー(動画投稿サイト・ポケチューブで活動している人のこと)だった。
マリチマは耳かき音や咀嚼音など、いわゆるASMRと呼ばれる動画を配信している。
世の中にASMR動画は星の数ほどあれど、マリチマの動画はその辺のポケチューバーとは一線を画していた。
あるときは、「夏の暑さを乗り切れます」と銘打って、はるばるホウエン地方にまで赴き、チリーンというポケモンの鳴き声を配信し。
またあるときは、「メタモンを揉んだときの音が気持ちいいので共有します」と癖になりそうな音を配信し。
またあるときは、「ワンパチの【ほっぺすりすり】の音が可愛い」と題してひたすらパチパチと聞こえるASMRを提供してくれた。
発想が面白い。いい音のために、普通他地方まで行くだろうか? 行動力の塊だ。そのバイタリティは見習いたいものがある。
そして何より、
(マリチマの声も好きなんだよな、オレ)
可愛いのだ。声が。
例えるならフェアリータイプ。あの声は癖になる。
顔出しはしていないマリチマだが、ライブ配信で労いの言葉をかけてくれる。その声が、なんとも耳に心地よいのだった。
(そういや、今日は週1のライブ配信か。リアタイ間に合うか?)
彼女のSNSをチェックしながら、キバナはナックルジムへ向かう。今は決算報告で忙しい時期なのだ。何よりチャンピオンが変わった影響もあって、上もバタバタしているらしい。連携がスムーズとは言い難い。その余波もあってジムでは残業が増えてきている。
(アーカイブは残してくれるけど、やっぱりリアタイで聞きたい……。とはいえ、仕事は仕事。スタッフのためにもオレさまが頑張らねぇとな)
「おはようございます、キバナ様」
「おー。おはよう」
ジムに着き、ジムトレーナーたちと挨拶を交わす。皆、キバナを慕ってくれているが……。最近雇った事務員とは、あまり上手くいっていない。ような気がする。
「おはようございます、キバナ様。大変申し訳ありませんが、そちら退いてもらってよろしいでしょうか。出入口に突っ立っていると通行の邪魔です」
「お、おう……」
振り返れば、その事務員――メリアが眼鏡の奥の瞳を細めキバナを見つめていた。
「悪い。すぐ退くわ、メリア」
メリアはナックルジムの事務員である。前職はマクロコスモス系列の会社で経理をやっていたそうだ。
以前――リーグの委員長がダンデではなくローズだった頃、「ナックルジムで問題を起こすことなく仕事をしてくれる人はいないか」と相談したところ、適任者として抜擢されたのがメリアだった。
問題を起こすことなくというのは、キバナに動揺せず仕事ができるか、ということだ。
キバナは、ガラルポケモンリーグ最強と呼ばれるジムリーダー。実力もルックスもトップクラスで、非常にファンが多い。彼のSNSにあげられる自撮りにはすさまじい数の反応があるし、街を歩けばすぐに人垣ができる。
だから、ナックルジムで働きたい人間は多くいる。中には、キバナと付き合えるチャンスだと勘違いしたファンが応募してくるのだ。面接を経て問題ないとされた人間が、採用後すぐさま豹変し、キバナに言い寄って仕事が進まない、といった事案が発生したこともあった。
つまり、ローズ(元)委員長のお墨付きでナックルジムに入ってきたメリアは、そこらの問題をクリアした――言うなれば、キバナにまったく興味がない、理想の人間であった。
実際、メリアはキバナに目もくれず、黙々と仕事をこなした。今まで事務や諸々の雑務を兼任していたジムトレーナーたちは、お陰でジムチャレンジの方に専念できた。今年の決算報告も、忙しいとはいえ例年より負担が軽い。
とはいえ、だ。
(ここまで興味持たれないもんなのか?)
なんというか(自慢ではないが)、常にファンに好意を向けられてきたキバナにとって、「邪魔です」は久しく向けられていない言葉であった。新鮮ですらある。
「……? どうされましたか」
「いいや?」
どうやら長いことメリアを見つめていたらしい。キバナは我に返り、脇に避ける。
「なあ、メリアは何が好きなんだ?」
「いきなり何ですか? あ、キバナ様。頭気を付けてくださいね。また、ぶつけますよ」
キバナは背が高い。大抵の建物は彼の身長に優しくなかったりする。サンキュー、とキバナは少し屈んで部屋へ入る。
「……で、何でしたか。好きな物? それを訊いてどうするんですか」
「メリアは最近ジムに来ただろ? オレさま、仲良くなりたいからさ」
「仕事を円滑に進めるにあたって、人間関係を良好にという意図でしょうか」
「そんな難しいことは考えてねぇって。オレさまが知りたいだけだから訊いた。それだけだぜ?」
メリアは首を傾げつつ、
「そうですねぇ……。ネズさんが好きですね」
と言った。
「ネズ!?」
予想外の名前が出てきてキバナは驚く。
「何で?」
「彼の出す曲が好きなんです。いいですよね、ネズさん。ジムリーダーをお辞めになりましたが、その分ミュージシャン活動に専念されてるようでなによりです」
「へえ……」
(オレには興味ないのにネズのファンなのかよ)
ちょっとだけ悔しい。
「なあ、オレさまは?」
「キバナ様ですか」
「そう。メリアはナックル所属だろ。オレさまのことはどうだよ?」
「別に、普通ですけど」
普通ですけど?
「職場の上司じゃないですか。それ以外に何か?」
「……いや。何も」
「では、もうよろしいですか。始業時刻近いので」
「……ん。今日もよろしくなー」
ひらひらと手を振ってメリアを見送り、キバナは自分のデスクに着席。そのまま突っ伏した。
(普通ってなんだよ! 普通って!)
いや、別に熱烈なファンになってほしいわけではない。
かといって、リョウタたちのように尊敬されたいわけでもない。
では、何ならいいのか?
(もう少し、距離を縮めたいよな。メリアの言葉を借りるなら円滑なコミュニケーションのためにも)
とりあえず、今度ネズと戦う機会があったら絶対に負けねぇ! とキバナは静かに闘志を燃やすのだった。
***
「キバナ様、この領収書の品目が曖昧ですので、もう少し具体的にお願いします」
「こちらのスタジアムの修正費の金額。あり得ない数字になっております。おそらく1つずつズレてますね」
「はい、ナックルジムでございます。ああ、バトルタワーの――はい。キバナ様ですね。少々お待ちください」
「リョウタさん。ポケモンたちの……はい、これなんですが……ええ、なるほど。ありがとうございます」
メリアの活躍は目覚しいものだった。まさに八面六臂である。例年より遥かに書類仕事諸々が片付いていくので、キバナは非常に助かっていた。
夕方5時になり、メリアがジムトレーナーたちに声をかける。
「お疲れさまです。一旦休憩に致しましょう? お茶を淹れましたので、皆さんもどうぞ。確か、ヒトミさんが買ってきたマカロンがまだあったはずです」
「お、サンキュー」
(いつもそうだ。メリアはどうして今オレが飲みたい物が分かるんだ? エスパータイプなのか?)
キバナはマグカップを受け取ってコーヒーの香りを堪能する。まさしくコーヒーの気分だったので、少し嬉しくなる。
「メリアさん、いつもありがとうございます」
「いいえ。これくらいどうってことありません。それより、このマカロンはどこで買われたのですか? 私も個人的に手に入れたくて」
「ああ、それなら――」
ヒトミとメリアの微笑ましい会話に聞き耳を立てつつコーヒーを啜るキバナ。
(案外他のジムトレーナーとは仲良くやってんだよなぁ)
と、穏やかな空気を堪能していたところ、スマホに着信が入る。相手はダンデ。嫌な予感がする。しかし出ないわけにもいかない。キバナは息を吸い込むと通話のボタンを押した。
「よう、ダンデ」
『やあ、キバナ。迷った!』
「……今どこだ?」
『それが、……どこだろうな? 雪が降っている』
キバナは瞑目し、天を仰いだ。
おお、神と呼ばれしアルセウスよ……!
どうしてこのタイミングでよくないことが起きるのですか?
ダンデは方向音痴である。そんなもの、ガラル地方に住む者なら皆知っている。「ポケモンはモンスターボールで捕まえる」くらいの一般常識である。
ダンデは迷子になると電話をかけてくる。目的地にジムがあれば、ジムリーダー宛にヘルプ要請をしてくるのだ。キバナも何回――いや数十回は、ダンデを迎えに行った。
バトルタワーオーナーになってからは仕事場が固定されるようになった。迷子率もチャンピオン時代からぐっと減った。だというのに、どうして今、この瞬間、キバナ宛にヘルプ要請が来るのだろうか。
「雪ぃ? キルクスタウンか?」
「いや、多分違う。キルクスは温泉があるから、湯気や硫黄の匂いで分かるぜ」
「……判断が野性的なんだよなぁ」
キバナは刮目し、椅子から立ち上がる。時刻は5時10分。どこかの地方では「秋の日はつるべ落とし」という言葉があるらしいが、この時期は急速に日が暮れる。窓の外を確認してみるが、なるほど、もう夜の気配がそこまで迫っている。
(早く見つけないと、面倒なことになるな……)
「他には何かあるか?」
「水場が近い! 橋がある! あと、バニプッチがいるな」
情報が少なすぎる。キバナは腹を括った。
「水場、橋……と、バニプッチがいる? いいか、ダンデ。そこから動くなよ。絶対動くなよ!」
『それはフリか?』
「この間出たバラエティ番組じゃねぇよ! オマエはコメディアンじゃないだろ! 絶対、絶っっ対に動くなよ! オレさまが迎えに来るまでそこから1ミリも動くんじゃない! 分かったな?」
『オーケーだぜ。すまないキバナ。頼んだ』
そこで通話は終わった。キバナは溜め息をついた。
「――ってことだから、ダンデを捜してくるわ。悪いが、後は頼んだ。リョウタ、レナ、ヒトミ、メリア。残業しないで帰れよ」
各々が心得たりとうなずいてる。そう、いつものことである。うちのジムリーダーがダンデに振り回されるのは。
手持ちのポケモンの確認をしてキバナは部屋を飛び出した。心の中で盛大に溜め息を吐き出して。
(今日はマリチマの放送、絶対間に合わないなあ。あーあ。せっかく久々にリアタイで聴けると思ったのにダンデの奴……)
「キバナ様」
走り出したキバナを呼び止めたのは、メリアだった。
「お、どうした?」
キバナはすぐに方向転換をして、メリアの元へ駆けつけた。
メリアは無言で、持っていたプリントをキバナに差し出す。ワイルドエリアの地図を印刷したものだ。ある特定の場所に赤い丸印がついている。
「ダンデさんの居場所ですが、おそらくワイルドエリアかと思われます。こことここと――あと、ここが現在天気予報が雪の場所でして。水場と橋がある……、とのことでしたのでミロカロ湖の北側が怪しいと思うのですが。あそこにはエンジンリバーサイドへ続く橋があったと記憶しております」
「さっきの会話でそこまで推測したのかよ」
キバナは内心舌を巻いた。先程の短いやりとりでよくここまで調べ上げたものだ。
「オレさまも天気予報を確認する頭はあったが……」
「極めつけは、バニプッチですね。雪の日の〈ミロカロ湖・北〉は高確率でバニプッチが現れますから」
「マジか。メリア、オマエ本当にすごいな」
「いえ、でも確証がありません。他にも候補は挙げましたが……。急いでダンデさんを迎えに行ってください」
そうだ、ダンデだ。動くなよと念押ししたが、ふらふらとどこかへ行く可能性もある。
「サンキュー! この礼は必ず!」
「お気を付けて!」
キバナはメリアの声を背に受け、フライゴンへ飛び乗った。
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