お互い不器用な子だなあ、と思いました。

 いつもと変わらない、澄み切った青空が眩しい早朝。

 教室へ着いた黒子テツヤの視界に、が真っ先に映り込んだ(影が薄いので、彼に気付いて挨拶する生徒はいない)。珍しいなと思いつつ、黒子は、自分の席へ着席した。先日席替えをしたので、彼女とは随分席が離れてしまっていた。なにせ向こうは教卓の真ん前、こちらは後ろから2番目の席だ。ここ最近、の背中しか見ていない。

 話しかけることも、話しかけられることも、もうないだろう。別に、彼女がいつもより早く登校していたって、自分には関係のないことだ。例え、彼女がいつもよりそわそわしていたって、自分には関係のないことだ。

 自然に目で追っていることに気付き、黒子はかぶりを振って本を取り出した。


***


ー、置いてくよー」
「ごめん、今行く!」

 本当に、偶然だった。

 昼休みも終わりへ差し掛かった頃。教室へ戻ると、今から図書室へ向かう黒子はすれ違った。やはり、は黒子の姿に気付いていない。彼はぶつからないよう、少し半身になってすれ違った。瞬間、女の子らしい甘い香りがした。

「黒子君いた?」
「図書室には本を返しに行っただけだよ!」

 後方で、の友達の口から自分の名前が出てきたので、少し驚いた。

「とは言ってもね?」
「ねー。手紙、書いたんでしょー?」
「うん……、読んでくれてたらいいんだけど」

 手紙。

 聞くつもりはなかったが、立ち止まってしまった。

「さすがに読むでしょ」
「あたしたちに、渡すの任せて欲しかったなー」
「ご、ごめんね……」

 後ろは振り返らない。声が小さくなったのを確認して、黒子はまた、歩き出す。

 手紙。そんなもの、あっただろうか。朝からの記憶を手繰り寄せるが、さっぱり思い出せない。今のが、直接黒子に手紙を渡してくるはずがない。ならば、どこかに入れたのだろうか。バレンタインにチョコを置いておくような、そんな感覚で。

 いや、机にも靴箱にもなかった。それは、間違いない。

 今更、何を話せばいいのだろう。キスの件なら、糾弾されても仕方ないことなのだが。あのが、そんなことをするためだけに手紙を書くはずもない。

 それに、彼女には火神がいるのだから。自分が気にかける必要は、ないのだ。

 黒子は、静かに諦めようとしていた。

 例えば、それは自分の誓い。
 例えば、それは自分の好きなもの。

 誠凛高校バスケ部を日本一にしたい。だが、自分では足を引っ張るだけだ。

 ――お前のバスケじゃ、勝てねえよ。

 ――圧倒的な力の前では、力を合わせるたけじゃ……勝てねーんじゃねーのか?

 思い上がっていたのではなかろうか。自分なら、何とかなる、出来ると。

 ――結局、自分のバスケでは限界だったのだ。



 そして、黒子はとうとう打ち明ける。木吉と火神の1on1。他校の練習試合。「もう俺にパスはしなくていい」。これらが積み重なり、決心した。自分をスタメンから外して、復帰した木吉を代わりに入れてくれと。

 だが、日向はそんな黒子に

「チョーシこくなダァホ!!」

 と頭を叩いたのだった。

 日向は黒子をスタメンから外れることを許さなかった。日向は、こんな話をした。

 木吉は当初、PGポイントガードのポジションだったが、小金井の発言をきっかけにCセンターポジションを組み合わせたスタイルを作りあげたこと。

 そして、こうも話した。

 黒子と木吉は違うけれど、黒子が出来ることは「周りを生かす」だけなのかと。

 それでも浮かない顔をする黒子に、日向は「火神には言っとけよ」と言う。

 ――黒子があのまま終わるはずないんで。それまでに、俺自身少しでも強くなりたいんです。

「あいつはお前のこと、信じてたからな」

 その一言で、黒子の中で何かが弾けた。
 行かなければいけない、と思った。

 今すぐに、彼のもとへ。


***


「そんで冬に見せつけろ。新生、黒子のバスケを」

 火神と黒子は、いつものように拳を合わせた。火神のあの言葉は、互いに頼るのを一度やめ、個々が強くなるための言葉だったのだ。そして、より大きな力を合わせて勝つための言葉だったのだ。

 改めて光と影のコンビとして冬の大会に向けて誓いあった2人だったが、実はまだ、解決していない問題があった。

 そう、のことである。

 と火神が付き合っていることだ。

 まあ、それは黒子の一方的な誤解なのだが、黒子も火神も気付いていない。黒子は黒子で、カレシであろう火神に、のことについて謝らなければ、と思っていたが。どういう風に説明をして謝るべきか、彼は考えあぐねていた。

 何をされても受け入れる覚悟はある。殴られて当然のことをしたし、コンビ解消の危機が今度こそ起こるかもしれない。むしろ、このまま黙っておくべきだろうか。はこの件を火神に伝えていないようだから。いや、それでは良心の呵責が……、

 だが、この帰り道。についてのきっかけを切り出したのは、他でもない火神だった。

「――あ。そーいや黒子、」
「何ですか?」

 火神は歩みを止め、カバンを漁った。数秒後に出てきたのは、ソーダアイスのような水色の封筒だった。

「ほら、お前宛て」

 黒子はそこで思い出した。きっとこれは、からの手紙なのだと。

 素直に受け取った手紙には、『黒子テツヤ君へ』と書かれていた。裏を返してみる。差出人はないが、筆跡から考えだと判断した。

「火神君が、持っていたんですね」
「ん?」
「いえ、何でもありません」

 黒子の呟きは小さくて、火神は聞き取ることが出来なかった。

「俺の靴箱に入ってた。……多分、出席番号が近いから、間違って入れたんだろ。なかなかお前と話す機会もなかったし、そもそもお前、休み時間はどっか行くから見つけれねーし」

 バスケのことばかり考えていたので、手紙のことを忘れてしまっていたと火神は謝る。

 そうなのだ。は黒子の靴箱に入れたと思っているが、実は火神の靴箱へ手紙を入れていたのだ。寝不足から来る注意力散漫が、原因だった。

「筆跡からしてだろうな」

 一度、古典の授業で助けてもらったので、筆跡になんとなく見覚えがあった。

「火神君が直接さんから受け取ったんじゃないんですね」
「そこまで親しくねーしな」
「えっ」
「えっ」
「隠さなくて良いんですよ」
「隠してねえよ」

 話が、まるで噛み合っていない。と仲が良いのはお前だろ? 俺は親しくない? ぐるぐる、ぐるぐる。虎が木の周りを回ってバターになる話よろしく、黒子はその言葉を反芻する。考えに考えて、考え抜いた。

 黒子は、火神をじっと見つめた。嘘は――ついていない。

「火神君」
「お、おう」

 黒子は深く息を吸い、意を決して訊いた。

さんと、付き合っているんですよね?」

 火神は数秒の沈黙の後、

「はぁっ!?」

 素っ頓狂な叫びをあげた。

「何で俺が!? と!?」
「それを訊きたいのは僕です」
「バスケの練習で手一杯だろーが! そもそも共通点ねーよ!
「そう、なんですか?」
「お前ら本仲間なんだろ!! 共通点はお前らにあるだろ」
「でも、火神君。いつだったか、さんに『大好き』と言われてませんでしたか……」
「えっ!? あったか?」

 ヒートアップしそうな頭を落ち着け、火神は黒子の問に記憶を探る。との会話は数える程しかない。だから――、案外簡単に答えは出た。

「あー、分かった。あれだ」


 ――なるほどな。つーかよく図書室行くよな。ホント、お前本好きだな。

 ――うん、大好き!


「……ってことがあって……ってうおっ!?」

 説明を終えた火神が見たもの。それは、影を背負っている黒子だった。影を背負っている、といえば語弊があるが、彼の顔には後光の代わりに影がかかっていた。マンガでよく見る、落ち込んだ時の技法を思い出してもらえれば、分かりやすい。

「おまっ、大丈夫か?」
「大丈夫に見えますか?」
「いや……」

 ここが外でなければ、黒子は膝を抱え込んで蹲っていただろう。今、彼の心中は(とんでもないことをしてしまった)が8割、(誰とも付き合ってなくて良かった)が2割を占めていた。

 とんだ勘違いをしていたものだ。

 自慢ではないが、人間観察の賜物で、が自分に好意を寄せているのはなんとなく察していた。少なくとも、他の男子よりは親しい立場だと。だから、火神と付き合っていると知った時は雷に撃たれたくらいにショックだったし、結果、キスという奇行にまで走ってしまった。頭を撫でたりするならまだしも、キスである。惹かれるどころか、引かれる行動だ。

 築き上げてきた信頼をぶち壊してしまった、キスだった。

 キスより告白していた方が、よっぽど話は早かっただろう。

 全ては、早とちりだった。

「あの、」
「何だよ」

 一拍おいて、

「過去に遡って抹消出来ないですかね。それか、記憶消去とか」
「いやいや何の話だよ、大丈夫か!?」
「大丈夫に見えますか?」
「全く見えねえ!!」

 穴があったら入りたい、埋まりたいと繰り返し呟くロボット・黒子がそこにいた。彼の心は羞恥でいっぱいだった。

 だから、彼が手紙を帰宅して直ぐ読めなかったのは仕方のない話である。誰も、彼を責めることは出来ない。


 それから、しばらくして。


「……よし」


 長い葛藤の末、ようやく手紙の封は開けられた。