愛というには若すぎた②
冷徹側の三日月宗近は、後ろから仕掛けられた奇襲を振り向きもせず刀で受け止めた。仕掛けたのは、側の鶴丸国永だ。防がれることを見越して、彼は即座に2撃目を放った。しかしそれも防がれる。
「これはこれは。驚きだね、なかなかやるじゃないか」
「はっはっはっ。なあに、じじいの俺にはこれ位のことしか出来ぬよ」
「行き過ぎた謙遜は、逆に傲慢だと思わないか?」
数秒の鍔迫り合いの後、鶴丸は自分が押されていることに気付く。じりじりと後ろへ追いやられていく。じじい等と、どの口が言うのか。
「おや、もうくたびれたか」
「は、まさか。まだまだっ……! 勝負はここからだ! 押して駄目なら引いてみるってな!」
鶴丸の瞳が猫のように細くなり、闘志を剥き出しにする。
形勢は不利。しかし、まだ勝負はついていない。
力押しで負けてしまうのなら――。
鶴丸はふいに抵抗を止めた。流れる水に逆らうのではなく、寄り添うのだ。流れに身を任せ、好機を引き寄せる。
「!」
三日月が体勢を崩した。前へつんのめるように地面へ倒れ伏す彼へ、鶴丸は躊躇うことなく刀を振るう。急所を確実に狙ったそれは――何者かに阻まれた。
「こいつは驚きだ。まさか君が割り込んでくるとは」
小さな体躯に似合わぬ得物を構える彼は、無邪気な笑顔を浮かべている。
「へへ、そっちのお仲間は倒してきちゃった。本気出せなかったんだけど……、期待していい?」
空中に浮かんでいるモニター付きドローンには、現在の戦況と刀剣男士たちの状態が正確に映し出されている。
の小夜左文字と加州清光は戦えない。
“重傷”の文字が全てを物語っていた。
***
と冷徹たちがいる控室は、ある種の緊張状態に置かれていた。
睨みを利かせる冷徹。
涼しい顔の。
両者の視線はぶつかり合い、互いの心を1ミリとも明かすまいと主張する。
山姥切国広はどうすれば良いのかと相変わらずオロオロしている。腕力では解決出来ない事案である。俺は何も出来ないのかと山姥切国広が落胆する一方で、今まで沈黙を保っていた小狐丸が目を細めた。
「ぬし様、潮時かと思われまする」
「口を慎め。余計なことを喋るな」
「あちらの審神者様も、なかなかどうして見応えのある御方で……。ぬし様が特に目をかけるのも頷けます」
「小狐丸!」
冷徹から放たれた殺気混じりの鋭い視線を受け、小狐丸は肩をすくめる。だが、堪えた様子はない。それどころか、
「様、ご案じめされるな。悪いようには致しません」
と、微笑みつきでのたまうではないか。
「……どういうことでしょうか」
「ぬし様は、辞めさせようとも継続させようとも思っておりません」
「はあ……?」
「迷っておられるのですよ」
も山姥切国広も、目を白黒させた。
迷っている? 何を?
の心中を察したらしい小狐丸が、やはり微笑みを崩さず言葉を続ける。
「様のことを、心より案じておられるのです。どうすれば様が幸福でいられるかを、ずっと考えておられました」
「私の、幸福?」
「いい加減にしろ!! お前は黙れ! これは俺が話すべきことだ!」
声を荒らげ小狐丸を制した冷徹の額には、汗が浮かんでいた。
初めて見たかもしれない。こんなにも感情に揺さぶられた冷徹は。
「冷徹さん?」
は声をかけるものの冷徹は返事もせず俯いて、口を真一文字に結んでいる。
「……」
「冷徹、さん?」
「……」
冷徹は小さく舌打ちした後、ガリガリと頭を掻いて顔を上げた。
「君を助けたい。それだけだったんだ。君の幸せの邪魔になるものは、何でも排除してきた」
が気付いていないだけで、冷徹は様々なことをしてきたらしい。学生時代から今に至るまで。報告会で糾弾してきた役員を排除したように。
「何故、そこまで」
「……」
冷徹は微かに顔を歪める。
「何故って、好きだからだよ。結婚を申し込むくらいには」
心の底から好きだから、
「好きな人には、幸せになって欲しいじゃないか」
絞り出すようなそれは、冷徹の心まで震えているようで、思わずは目を見張った。
「……あわよくば、その隣にいるのが俺だったらいいと、ずっと昔から思っていたんだよ」
「ずっと昔から?」
「ああ。10年も前から、ずっと……」
笑いたければ笑えばいい、と冷徹は自嘲した。
「学生時代の君は、周囲に興味を向けようとしなかった。そして唯一笑顔を見せるのは、所謂理数系のものばかり。例え『冷たい』だの『機械』だの評価されて周囲から浮いていても、君は自分を貫いていた。そういうところが、羨ましかったんだ」
――きっと俺は、君のようになりたかった。
冷徹の告白は続く。
「君のような人間になりたかった。誰に何と言われようとも、何を切り捨てても意思を曲げない、君のようになりたかった。だから俺は、君を目指したんだ。同じようになれば、同じ場所に立てたら君は、俺を見てくれるんじゃないかって」
「……私は憧れの対象だったのですね」
「そう、だな。そういうことになるのだろう」
(私は誰かの憧れの対象になるような人間ではないと思うのだけど)
少なくとも、冷徹にとってはそうだったらしい。
憧れが、いつしか恋に変わって。
振り向きもしなかった人を追って。
ここまで来た。
――人の心なんてまだ完全に理解出来ないけれど、僕は、心は複雑怪奇で単純明快で鏡花水月で牛鬼蛇神だと思っている。そして、当人の気持ちを心の底から理解出来るのは、たったひとり。当人のみだ。
僕らは推しはかることは出来ても、同情出来ても、己と他人の気持ちを寸分違わず重ねて最奥を理解出来ない。
昨日の歌仙の台詞が脳裏によぎる。どこで誰に影響を与えているのか、本当に分からないものだ。
「はあ……。それなのに、今の君は、何だ。昔とまるっきり変わってしまった。そうだな、……人間らしくなった」
冷徹かと思っていた彼女は、いつの間にか、日向で微笑む人間の女性になっていた。
「失望しましたか?」
「いいや、ちっとも……。むしろ、それすら好ましいと思ってしまった。惚れた弱みだな」
「ほ、惚れ!? ……そ、そうですか」
(これは、本当だと認めざるを得ません。冷徹さんは、私に本気なのだと)
「誤解していたみたいですね、私。ずっと、冷徹さんのことを」
はそれだけ言って、困り顔で山姥切国広へ頭を下げた。
「どうやら本丸の危機は、私と冷徹さんの色恋沙汰が原因だったようです。まああの、半分くらいは私が政府の方針に沿っていなかったこともありますが。……あなたたちに迷惑をかけたことに変わりありません。申し訳ないです」
色恋沙汰をくだらないこと、とは言わなかった。昔のならそう一蹴しただろう。
でも、彼女はそう思わない。
真剣に気持ちを伝えてくれた刀剣を、知っているから。
好きだとずっと伝えられなくて、遠回りしてきた男を、知ったから。
「謝らないでくれ。俺はあんたの刀だ。待ち主たちの事情で振り回されることは、その、何だ。道具とはそういうものだろう。正直、色恋沙汰が原因というのは拍子抜けもいいところだが」
一瞬だけ冷徹を見て、へ視線を戻す。
「あんたが本丸に変わらずいてくれるなら、何でもいい。俺たち刀剣男士は、持ち主のあんたが俺たちを手放さなければ、いいんだ。傍にいたいのは刀として――いや、所有物としての本分だ」
「――はい」
「だから、俺に頭を下げるのはよしてくれ。落ち着かない」
「はい」
「結局のところ、今大事なのは、この男の話を聞いて、あんたがその好意を受けるかどうかではないのか」
(ああ、そうか……)
課題をクリアしたとしても、大事なのはそれだ。
(不本意だったみたいですが、冷徹さんは私に気持ちを告白しました。ならば、私も誠心誠意、それに応えなければいけませんよね)
瞑目し、肺に空気を取り込んで、ゆっくりと吐き出す。
ここで全て告白する。
そう決意すると、少しだけ心が軽くなった。
目を開けると、複雑そうな顔をした冷徹がを見つめている。
「申し訳ありませんが、私はずっと、あなたが苦手でした」
彼がやっと心の内を明かしてくれたのだ。自分も明かさなければフェアじゃない。
「それが何故なのか考えたことはありましたが、今、ようやく分かったような気がします。
同族嫌悪、とでも言えばいいのでしょうか? いえ、それも少し違う気がしますね。……冷徹さんは私のようになりたかったとおっしゃいましたよね。多分、あなたを通して私自身を見るのが……、嫌なのかもしれません」
それは、もうひとりの自分。あったかもしれない可能性。
「どうして自分はこうも人と違うのだろう。頑固なのだろう。理屈っぽいのだろう。普通・・じゃないのだろう。周りから浮いているのは自覚していましたし、でも、自分を曲げるのは、とても窮屈なような気がして、」
だから、冷徹が言っているのは少し違う。
「誰に何と言われようとも、何を切り捨てても意思を曲げなかった、のではなくて、それ以外に振る舞う術を知らなかった。ということです」
あれから歳を取った今なら、もう少しだけ世の中を上手く渡れるだろう。「外面」という仮面をつけるのが、随分上手くなったら今なら。自分らしさを押し殺して。
だが、あの頃。学校という狭い世間の中では、器用に立ち回ることが出来なかったのである。
「そんな自分が嫌いで、逃げ出してしまいたかった。あなたが私を真似ていくにつれて、どんどん苦手になっていった」
冷徹は無言だった。
自分の数年間の努力は空回りだったのか、と。ショックではあった。
近づいているつもりが、遠ざかっていたのである。と冷徹の心の距離が。
「しかも、あなたは私に意地悪なことばかり。嫌味なんて何回言われたことか。てっきり私が知らないうちに冷徹さんに失礼なことをして、嫌われたんだとばかり思っていましたよ」
「そ、そんなことがあるか!」
「ふむ、そうですね。きっとこの場合『好きな子ほどいじめたくなる』『好きな子に素直になれない』というものでしょう」
否定する冷徹の横で、小狐丸が臆することなく口を挟んだ。
「なるほど、なるほど。反動形成行動ですね」
「ああああ! うるさいぞ小狐丸! もだ! 冷静に分析するな!」
「ぬし様、色々と台無しですよ」
「お前のせいだろうが!」
まるで子どものような反応をする冷徹に、と山姥切国広は再び驚くことになった。どこが「冷徹」なのか。沈着冷静な姿は今の彼から全く感じられない。
冷徹が落ち込んでいるのを知ってか知らずか、
「だから、これでも驚いているのですよ。あなたの口から直接“好き”なんて言葉が聞けるなんて」
少し困惑したように、自分の鈍感さに呆れたように、は微笑んでいた。
「……俺と君はすれ違っていたわけか」
「それも、多分、出会ったときから」
「なるほど」
溜め息のように吐かれた理解の言葉だった。
「ですから、私は、結婚の話は受けられません。その……そういう対象として見たことはなかったので」
「男としてすら見られていなかったと。こういうときは何と言葉をかけるのでしたか――。ああ! そうですね『どんまい』です、ぬし様」
「お前、からかうのもいい加減にしとけよ……!」
歯ぎしりが聞こえてきそうな物言いだが、小狐丸はからからと笑うだけだ。冷徹が恐ろしくないのだろうか。
素の冷徹が垣間見れたような気がして、はくすりと笑った。
「冷徹さん、」
「な、何だ」
がいることを思い出して、冷徹は慌てて己を取り繕う。
「あなたと結婚は考えられないけれど、その……友人にはなれないでしょうか。改めて、今、ここから」
「は……」
冷徹が固まった。
「それがいいかと思います。誤解していた分を取り戻すために。友人として、付き合っていくのはダメ、でしょうか」
すぐに返事はなかった。冷徹はのろのろと口を開く。
「うっ、……友人として、か」
「はい」
「フラれたのか、俺は……」
「さあ、どうなんでしょうか。申し訳ないのですが、あなたと結婚する可能性は1%もないのです」
「そ、そうか」
胸をおさえる冷徹。ショックが大きいらしい。
「でも、その1%が増えていく可能性はあると思いませんか」
「……」
「あなたが抱いていた私への憧れの気持ちが恋に変わったように、友人から恋人に変わる可能性も、あると思いませんか」
「…………。君には、そういう気持ちがあるのか? その、俺と恋人になるつもりの気持ちが」
「現時点ではないです。現時点・・・では」
再び冷徹は溜め息をついた。長くて深い溜め息だった。
「そうか。強引に迫っては、君の気持ちは手に入れられない」
「ええ」
「それに君は、そこまで俺の援助を望んでいない」
「いい大人ですもの。仕事はきっちりやります。上手く立ち回りますとも」
「そうか……」
「何も一から十まで手を貸せとは言ってないのですよ。対等でいさせてください。あなたが私を思ってやったことは十分理解しましたから」
そして、最後にはこう付け加える。
「その、こういう言い方は傲慢ですが、」
――私を落としてみせてくださいね。
がにこりと笑ってみせれば、
「それは反則なんだよなあ……」
毒気を抜かれた冷徹がいて。
「さすがは、ぬし様が選ばれたお方です」
「主、そういうところだぞ」
刀剣男士たちはそれぞれの主に声をかけるのだった。